安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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日本帰省日記 (17) 長崎から奈良に戻る
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( 2017年 2月 17日
曜日)


●五島列島から長崎へ戻る
江上教会を出ると、あとは港へ戻ってそこから、長崎への船が出る福江港に小さな貸切船で直行、約30分で福江港に接岸する。さあ、走って切符の窓口へ、「最終のジェオットフォイルの切符を2枚、ありますかしら」と尋ねると、「ちょうど2席並んでアキが出ました」とですと。バッチリでした。朝、長崎港では「帰り便は満席ですが、キャンセルがあるかもしれませんから福江で聞いてみてください」と言われていた。正解だ。次に並んだ人はもう満席でダメ。悪い気もするが、いや助かりました。乗ってみて確かめたが、上下階とも一席も空きがない見事な満席だった。

というわけで、夕方5時前に長崎港について、人影がなくなった広い港駅の建物で休憩。市電の駅まで行くのが家内も拙子も億劫になる。足が弱いのだ。それでタクシーに乗ると、運転手さんは観光案内に詳しい。ホテルまで行く途中、オランダ坂 大浦天主堂や、唐人屋敷、などを観光で廻ってもらう。「日本最初の機関車の線路跡」というからそれは汽笛一斉の『新橋』じゃなかろうかと異議を挟むと、あの貿易商のグラバーさんが輸出入物資を運ぶための貨車専用ですが、鉄道では日本最初とおっしゃる。由緒ある建物を逐次回り、途中停車して写真を撮ったり、中身が濃い。2時間近く案内してもらってホテルに帰る。

●「出島」を見学
翌12日は、この旅で一番快適だったホテルでゆっくり朝食、チェックアウトして荷物をフロントに預けておく。この日に奈良まで寄り道せずに帰るので、長崎駅出発は昼の3時前で良い。その間を利用して「出島」に行く。市電がホテル前から出島の入り口まであるので便利だ。   

拙子は前にも来ているのでこういうオリジナルでないところへ、二度来ることもないが、家内は興味あるらしくお供した次第。鎖国の頃の出島は埋め立てられたので、ここは陸地に復元された出島の姿、正式には「出島和蘭商館跡」という名称である。しかし復元にしては良心的で考証も充分、「大阪くらしの今昔館」と同じ趣向と思えばよか。

↑「出島案内」という売店にあった小冊より

●模写・南蛮屏風
「南蛮人来朝図屏風」(長崎歴史文化博物館蔵)というのが展示されていた。
狩野派の絵師によるこの種の屏風はいく種類かあって、場面は同じでも構図、タッチが異なる。下図は出島展示の屏風ではなく、大阪南蛮文化館所蔵の、南蛮屏風を模したものである。


↑拙子がむかし、模写した「南蛮人渡来図」左隻の一曲。大阪の南蛮文化博物館から詳細な図版を当地に送っていただき、スライドに撮って幅2メートルの壁材に映写して固形水彩(日本画の絵の具がないので)細部の図版を丹念に模写、金箔の金雲は金粉絵の具で代用、水彩なので上からラッカーをかけ、額も自分で作りました。

模写した。仔細を述べると、拙子が引っ越し荷物に当地に送った書籍に「原色日本の美術」小学館、全30巻があった。この中に「南蛮美術と洋風画」の一巻があり、上掲写真の南蛮屏風・六曲一双がカラーで折閉じされていたのである。これを見た家内が、「これいいね」というので、「オレ描いたろか」と進んだ。それで勤めを終えた後で、左隻を一週間で描き終えた。以来、我が家の食堂に掛かっている。

拙子は絵描きの天分に恵まれなかったが、偽(ぎ)は作れる。ゴッホでもレンブラントでもなんでもござれ、学習のためにやる。すると臆面もなく注文する面の皮の厚いのがいて、アホらしくて止めた。M先輩は歌麿・北斎の模写の他に、飯一粒にイロハ48文字を書き込んだが、神業ですな。

屏風に戻って、片側は3本マストの南蛮船が砂浜のような港の先に停泊し、小舟で荷を下ろす図である。そして一双の片方に上図の舟から荷をおろし、ゴアの印度人召使いが担いでいる。先頭は従者に天蓋を持たせているポルトガル人のカピタン、若い男である。右に迎えるのは南蛮寺に長く逗留するジェスイットの司祭、鼻メガネをしているのでカブラル神父と知れる。その横の若い司祭がイヤに気取っている。この屏風に100人近く描かれているが、それぞれの人物、インド人、ポルトガル人、同国人の船が来ないフランチェスカーナの妬みっぽい容子、儒教以前の自由な日本人の生活ぶり、時代のストーリーを語る屏風である。

出島ではボランティアの案内人が、出島の概要を展示した建物内で熱心に家内に説明して回る。家内も質問したりするので、ますます熱心に、拙子など目にないのだな。ま、かような事態は慣れっこなので、隅に座して待つのみ。

ガイド氏から解放され、コーヒがうまい。庭や、出島の模型、セミナリオの建物など散策して、市電でホテルへ。荷物を出してもらって、さてフロント嬢に「まだ時間があるのでちょっとロビーで一服していきます」というと、びっくりしたように「あのー、全館禁煙なのですが……」と戸惑った様子。

拙子のいう一服(いっぷく)は休憩のことなのだが、フロントではタバコを一服と理解するらしい。一つ学びました、注意しよう。

●奈良に戻る
長崎駅からは「かもめ」、新鳥栖で新幹線に乗り換えて京都へ、車内販売の駅弁で夕食、これが楽しいのですな。国鉄京都駅と近鉄が駅建物の中でつながっている。特急で西大寺駅に降りると妹が車で迎えにきていた。

一週間有効のJRパスをキッチリ使い果たし、家内が昔住んでいた神戸には後日、16-17日に2泊で行くことにした。前回に朝食の良いことで家内が甚く(いたく)気にいった「ホテル・ピエナ」にする。






Pnorama Box制作委員会


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