安達正興のハード@コラム
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日本帰省日記 (17) 長崎から奈良に戻る
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( 2017年 2月 17日 金曜日)
●五島列島から長崎へ戻る というわけで、夕方5時前に長崎港について、人影がなくなった広い港駅の建物で休憩。市電の駅まで行くのが家内も拙子も億劫になる。足が弱いのだ。それでタクシーに乗ると、運転手さんは観光案内に詳しい。ホテルまで行く途中、オランダ坂 大浦天主堂や、唐人屋敷、などを観光で廻ってもらう。「日本最初の機関車の線路跡」というからそれは汽笛一斉の『新橋』じゃなかろうかと異議を挟むと、あの貿易商のグラバーさんが輸出入物資を運ぶための貨車専用ですが、鉄道では日本最初とおっしゃる。由緒ある建物を逐次回り、途中停車して写真を撮ったり、中身が濃い。2時間近く案内してもらってホテルに帰る。 ●「出島」を見学 拙子は前にも来ているのでこういうオリジナルでないところへ、二度来ることもないが、家内は興味あるらしくお供した次第。鎖国の頃の出島は埋め立てられたので、ここは陸地に復元された出島の姿、正式には「出島和蘭商館跡」という名称である。しかし復元にしては良心的で考証も充分、「大阪くらしの今昔館」と同じ趣向と思えばよか。 ↑「出島案内」という売店にあった小冊より ●模写・南蛮屏風
模写した。仔細を述べると、拙子が引っ越し荷物に当地に送った書籍に「原色日本の美術」小学館、全30巻があった。この中に「南蛮美術と洋風画」の一巻があり、上掲写真の南蛮屏風・六曲一双がカラーで折閉じされていたのである。これを見た家内が、「これいいね」というので、「オレ描いたろか」と進んだ。それで勤めを終えた後で、左隻を一週間で描き終えた。以来、我が家の食堂に掛かっている。 拙子は絵描きの天分に恵まれなかったが、偽(ぎ)は作れる。ゴッホでもレンブラントでもなんでもござれ、学習のためにやる。すると臆面もなく注文する面の皮の厚いのがいて、アホらしくて止めた。M先輩は歌麿・北斎の模写の他に、飯一粒にイロハ48文字を書き込んだが、神業ですな。 屏風に戻って、片側は3本マストの南蛮船が砂浜のような港の先に停泊し、小舟で荷を下ろす図である。そして一双の片方に上図の舟から荷をおろし、ゴアの印度人召使いが担いでいる。先頭は従者に天蓋を持たせているポルトガル人のカピタン、若い男である。右に迎えるのは南蛮寺に長く逗留するジェスイットの司祭、鼻メガネをしているのでカブラル神父と知れる。その横の若い司祭がイヤに気取っている。この屏風に100人近く描かれているが、それぞれの人物、インド人、ポルトガル人、同国人の船が来ないフランチェスカーナの妬みっぽい容子、儒教以前の自由な日本人の生活ぶり、時代のストーリーを語る屏風である。 出島ではボランティアの案内人が、出島の概要を展示した建物内で熱心に家内に説明して回る。家内も質問したりするので、ますます熱心に、拙子など目にないのだな。ま、かような事態は慣れっこなので、隅に座して待つのみ。 ガイド氏から解放され、コーヒがうまい。庭や、出島の模型、セミナリオの建物など散策して、市電でホテルへ。荷物を出してもらって、さてフロント嬢に「まだ時間があるのでちょっとロビーで一服していきます」というと、びっくりしたように「あのー、全館禁煙なのですが……」と戸惑った様子。 拙子のいう一服(いっぷく)は休憩のことなのだが、フロントではタバコを一服と理解するらしい。一つ学びました、注意しよう。 ●奈良に戻る 一週間有効のJRパスをキッチリ使い果たし、家内が昔住んでいた神戸には後日、16-17日に2泊で行くことにした。前回に朝食の良いことで家内が甚く(いたく)気にいった「ホテル・ピエナ」にする。 |
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