安達正興のハード@コラム
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日本帰省日記 (16) 奈留島、江上教会
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( 2017年 2月 6日 月曜日)
●奈留島へ 【三兄弟工房】 みなさん自分の似顔絵や、見本の絵柄を転写して熱筆で線描、終わると革紐をつけてもらう。これらすべて案内費用に含まれている。もちろんこの店の作品を買うのも自由で、拙子は五島列島の島々と地名を描いたペンダントを一つ記念に求める。 ●江上教会 1797年、長崎本土から農民移住が始まると、奈留島への移住者に混じって江上地区にも潜伏キリシタンの4家族が住み着いた。そして1881年、禁教が溶けて間もなく、4家族の全員がカトリック信徒であることをおおやけにし、1906年頃には自力で簡素な教会を建てたという。もはや隠れキリシタンではない、天下晴れて信仰を表明できた喜びはいばかりか、キリスト教徒でない人々に想像できないだろう。 現在の江上教会が建設されたのは1918年である。当時の信者は40〜50戸だったが、地引網で建設資金を貯め、教会用地は自分達で造成した。設計施工は鉄川与助という明治の教会建築界における第一人者でした。欧州の小ぢんまりとした村の木造教会を見るようで、しかしここは離島である。アッと息をのむほどほど美しくため息と声が出る。 北欧では堂内の木柱に本モノそっくりの大理石模様を手描きするが、この江上教会では木の丸柱にベンガラ防腐剤を塗り、その上に木目を油性で描いてツヤを出している。なので実際に見ると妙に赤っぽい。触ってはダメと注意されていたが思わず触ってガイド氏に注意されてしまった。堂内は写真もダメ、靴を脱いでスリッパに履き替えて堂内に入る。無い無い尽くしで靴を脱ぐとは、チト不満なり。入る時にサっと十字を切るのはガイド氏のみ。拙子と家内は新教だからさっさと入る。 拙子が住むベルゲン郊外の古い木造教会は、保存されて今は家族のための結婚式や堅信礼ぐらいにしか使われないが、柱は手書きの大理石模様で誰でも無造作に手を触れ、凭れかかる。また古い大きな石造り教会でも二階席は木造、支える木柱には大理石模様が描かれている。で、「ホントに木か大理石か、みなさん触ってみてください」などとガイドが案内しているのである。ところがここでは世界遺産へ登録申請の件のためか、見学は厳しくなった。 マリアの受胎は神のお告げですから、イエスは神の御子(みこ)であり、教理として夫ヨセフはイエスの父親・・と言えないわけ。とはいえ、潜伏キリシタン家族の団結は強烈で、子を抱くマリア観音やヒゲのヨセフ像が造られた経緯がある。また説教壇の模様は、当時の器用なフランス人神父が鑿彫したという。正門を入って左の壁に大きい帆立貝のような貝殻を内向きにした「聖水盤」がありました。ガイド氏がこれはなんでしょう?と拙子と家内に口止めしてグループの5人に問う。前知識が豊富で洗礼の水盤を知っていても、今は使われなくなった入り口聖水の水盤までは誰も答えられなかった。キリスト教徒なら一目瞭然なのですが・・ 教会駐車場横にある鉄筋の小学校はすでに廃校となり、一時は島のあちこちから船でやってきた50所帯もの信者さんたちで溢れかえったそうですが、過疎化のため島の奈留島港がある樫木山地区に集団移住し、この島の中心Kアトリック教会である「奈留教会」の所属となりました。江上教会では今や五指に満たない古老が礼拝を続けているという。 |
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