安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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日本帰省日記 (9)
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( 2017年 1月 9日 月曜日)


●11月10日、長崎
博多から長崎まではJR「かもめ」で2時間40分である。グリーン車のサービスはないが、前再選車両の半分が指定席でリクライニングの特別仕様になっていて、実に快適でしかも空いている。あちこち止まるのも急がない旅にはうってつけ、平地と潟の風景が山国日本には珍しく開けた感じがする。

昼ごろに長崎について、便利だと言われた市電の一日券を求めて、荷物を駅のロッカーに入れる。まず歩いていけると案内所で教えられた26聖人殉教碑へ向かう。陸橋をわたるのだが、エレベーターがあるのでOK、だが向こう側にエレベーターがなかった。ショッピンッグビルの2階に通じていたのでそこへ入って、隣のビルからエレベーターで降りられたので助かった。

さて小雨の中、傘をさして歩き出すとこれが坂道で少しも近くではない・不平タラタラ、殉教陽への辛い階段を上がると、オー!かの磔にされた26人の青銅レリーフが雨で濡れた白い石壁を背に立ち並んでいる。幅20m以上あるだろうか、 写真で考えていたよりはるかに大きい。京都から数珠繋ぎにされて出発したのは24人、追ってきた二人が、途中で私もと願い出て譲らず、磔の一行に加わったので26人になったのである。 

十字架の柱に縄でくくりつけられ、槍で刺し殺された。刑の経緯と様子は、ヴィリヨン神父が著した『切支丹鮮血遺』(きりしたんちしおのかきおき)詳しく、淡々と述べている。現代語訳も抵抗なく読めるように工夫されている。それだけに重く信仰の強さがひたひたと胸に迫る。4人のポルトガル神父を中央に、父と共に殉教した少年ルドビコ茨木とルドビコ少年のあどけない顔が美しくも痛ましい。

↑ 26聖人殉教の地に立つ記念の青銅レリーフ像
雨がひどくなったので、レインコートを着て26聖人記念館へ。ここは意外に多量な貴重な資料を展示して、大きな記念館である。家内は一つ一つ吟味して、長い時間をかけていました。記念館の見学者には韓国の若い人が多い、キリスト教徒が多い韓国ならでは現象か。

↑ 展示されていた踏み絵の図絵
帰りは階段と坂を下って市電で「松山町駅」へ、浦上天主堂に行く。雨が降り続いている上に、学校帰りの生徒で満員。しかしみなさん優しいね、特に西洋婆さんの家内はたちまち席を譲ってもらう。ここへはかなりの距離で、市電が一番便利で早いと言われて着たがその通りである。地元の人には悪いが、平和公園の彫刻、平和記念像は見る気がしないのでパス、雨が強いので駅からタクシーで浦上天主堂へ。旧天主堂は30年の歳月をいかけ、東洋一と言われたレンガ造りの教会だったが、原爆の爆風で崩壊した。爆風の後方壁面が少し残ったぐらいである。現在の建物は1959年に再建された姿である。

長崎には原爆で吹き飛ばされた教会の一部が保存され、原爆資料館もあるが、欧米人の来訪はほとんどない。広島には行っても長崎に来ないのはキリスト教徒である彼らが人として向き合うには、辛く心苦しいのであろう。

↑雨の浦上天主堂







Pnorama Box制作委員会


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