安達正興のハード@コラム
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日本帰省日記 (9)
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( 2017年 1月 9日 月曜日)
●11月10日、長崎 昼ごろに長崎について、便利だと言われた市電の一日券を求めて、荷物を駅のロッカーに入れる。まず歩いていけると案内所で教えられた26聖人殉教碑へ向かう。陸橋をわたるのだが、エレベーターがあるのでOK、だが向こう側にエレベーターがなかった。ショッピンッグビルの2階に通じていたのでそこへ入って、隣のビルからエレベーターで降りられたので助かった。 さて小雨の中、傘をさして歩き出すとこれが坂道で少しも近くではない・不平タラタラ、殉教陽への辛い階段を上がると、オー!かの磔にされた26人の青銅レリーフが雨で濡れた白い石壁を背に立ち並んでいる。幅20m以上あるだろうか、 写真で考えていたよりはるかに大きい。京都から数珠繋ぎにされて出発したのは24人、追ってきた二人が、途中で私もと願い出て譲らず、磔の一行に加わったので26人になったのである。 十字架の柱に縄でくくりつけられ、槍で刺し殺された。刑の経緯と様子は、ヴィリヨン神父が著した『切支丹鮮血遺』(きりしたんちしおのかきおき)詳しく、淡々と述べている。現代語訳も抵抗なく読めるように工夫されている。それだけに重く信仰の強さがひたひたと胸に迫る。4人のポルトガル神父を中央に、父と共に殉教した少年ルドビコ茨木とルドビコ少年のあどけない顔が美しくも痛ましい。 ↑ 26聖人殉教の地に立つ記念の青銅レリーフ像 ↑ 展示されていた踏み絵の図絵 長崎には原爆で吹き飛ばされた教会の一部が保存され、原爆資料館もあるが、欧米人の来訪はほとんどない。広島には行っても長崎に来ないのはキリスト教徒である彼らが人として向き合うには、辛く心苦しいのであろう。 ↑雨の浦上天主堂 |
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