安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


------- ----------------------------------
鹿と奈良の昔話
------------------------------------------
( 2017年 1月 6日 金曜日)


●2017年の初めに
すっかり引退人間になり、マ伸びした日々を過ごしております。
 「高齢者」の定義が、これまでの66歳から75歳以上と新しく決まったか決めるそうですが、拙子はすでに新高齢者である。

↑雪の山道をマウンテンバイクで走る親子 photo: Bj_rn Essaisen
かつては上の写真にあるような雪の山道を、子らとスキーに興じたものだったが、今はたまに孫と雪だるまをつくる程度である。

帰省日記の長崎編を予定していたが、御目出度いお正月に殉教の話はどうかと思い、奈良の鹿の昔噺でもいたしましょう。奈良市の鹿の資料がいつのまにか、積み重なった。中から、四条県令の無体な県令を一つと、農家を喜ばせた県令について:

●鹿園造営の費用は江戸の貸しから
明治4年に奈良県令に新政府から任命された四条隆平(しじょうたかとし)は農産物を荒らした鹿は殺して良しとし、鹿を閉じ込めるために油坂やその頃は森だった飛火野、その東の茶山に柵で囲った鹿園を設けた。問題は資材を賄う費用である。直情型の思いつきで県政を手玉に取った至上県令が発した、青天霹靂の命令は、「天保十年以来、江戸幕府より奈良町民に貸し与えた一万5千両の金を、2割引して一万2千両を返金せよ」という。

借金した農民らは、旧幕府の金であるからもうチャラになったと思っていた。旧幕府の領地は新政府が受け継いだのは当然としても、補助金貸付のかたちで借りた金を、突如返せと命令されてビックリ、頭を抱えたのです。各町の町会長、あるいは連名で県令殿に、「難渋仕居候間」などと書き加え、少額の献金をしている。また、何卒2年間猶予を賜りますようとの嘆願書を奏した町も多かった。県令は猶予間の利子を決めて、2年後にほぼ回収した。

しかし、鹿園ができて間もなく、四条孝平県令は免職され、次の藤井千尋権県令が鹿を柵から解放したので、工面して借金返した町民がバカを見ただけに終わった。

●鹿撃ち許可でうるおった百姓
奈良町では踏んだり蹴ったりだったが、当時は奈良町の外に八ケ村即ち、法蓮村、芝辻村、油坂村、川上村、杉ケ村(するがむら)野田村、城戸村、京終村(きょうばてむら)があった。
よくよく鹿に農作物を食い荒らされるので、江戸時代は租税免除になっていた村であるが、害獣と決めつけた至上県令は、村民に農作物を食い荒らす鹿を銃殺することを許可した。

鹿の皮は強く柔らかで様々な加工に用い、毛皮のままでも敷物になる。夏毛は筆の毛に良く、白い毛の部分は筆の高級品である。角細工の需要いくらでもある、一匹撃てば良い稼ぎになったので、で農地の外でも、やたらに打ったらしい。加えて鹿園で生き残った鹿は餌を与えられずに、わずか38頭となっていた。明治6、7年は奈良の神鹿があわや絶滅の危機に頻していたのである。






Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る