安達正興のハード@コラム
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日本帰省日記 (7)
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( 2016年 12月 19日 月曜日)
●11月7日、山口へ 山口駅にある観光案内所で観光地図をもらい、ザヴィエル記念聖堂への行き方を聞くが、バスを降りて坂道を歩くというので、ここはタクシーだ。もう一つ、商店街に大道寺跡のプレーとはどこか尋ねると、これが通じない。わかりませんという。道場前商店街の出口近くにあると調べてきたので、ここはある程度歩くしかないと諦める。 駅のロッカーにスーツケースを入れて外に出ると、街に活気がない。タクシーなんか列になって客待ちだから、さっと乗れて個人的にはありがたいのだが。 ●ザヴィエル記念聖堂と展示館 礼拝堂と階下の記念館へは入場料ではなく献金袋にいくばくか入れる。教会では一般的な方法。入り口に座っている聖職者風の人から献金額が見えないようになっているので、いくらが適当か、余計な心配はしないで良い。しかし記念館は素晴らしい。新教ではこれほど豪華絢爛な展示物を考えられない。これなら献金とは別に入場料を払いたいと思う。
ザヴィエルは大内義隆に宣教の許可を得て、その根拠地に大道寺を賜った。然り、日本初の南蛮寺である。3枚のプレートは2010年に設置され、壁面は高さ2mくらい。真ん中に井戸端で説教するザヴィエル、町民に混じって武士や僧侶も聞き入っている。右はフロイスの『日本史』にあるスペイン語の原文と邦訳のエッチングである。 ヴィリヨン神父が、長年探し続けてきた「大道寺跡」と記された古地図を持参した人がいた。小躍りして信じた場所・金曽古は、地図を持ち込んだ男に騙された・・というくだりを、拙著「奈良まち奇豪列伝ツ−ヴィリヨン神父」に書いたので繰り返さない。簡単な解説なら<フロイス大道寺跡>でネット検索してくだされ。 プレートを熱心に見ている我々におばさんとその姪というおばさん二人が話しかけてくる。で、拙子が説明すると、へーですって。市役所前の家で育って今も住んでいるというおばさんは、初めて知ったという。近くに住んでいて本圀寺は知っていても大道寺とか、ザヴィエルがここに住んでいたとかは知らないのですな。家内と長話しなんかして、楽しいおばさん方でした。 彼女の小さい頃、家の前に、いろいろなキリシタン遺物があったけど、ザヴィエル聖堂の人が全部持ち去ったそうだ。この記念プレートが知られていない理由は、どこにもザヴィエルとか、南蛮寺跡とかの大きな文字や石標がない。市側でザヴィエル聖堂と、その大道寺跡の公式解釈に配慮してわざと目立たないように商店街に説得したようだ。 なので、商店街のリヴァイヴァルに役に立っていない。シャッターを閉じた店が並ぶ商店街は誠に侘しいく、早い夕食でもとレストランを探したが、適当な店がない。仕方ないのでコンビニ食にしてホテルで食べる。どこにも果物ナイフがなく、カッターナイフで代用する。これは機械油がついているので、熱湯で洗い流す。ザヴィエルも食べたであろう山口産小粒の富有柿、ちゃんとタネがあり、おいしいおいしい。 |
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