安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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日本帰省日記 (7)
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( 2016年 12月 19日 月曜日)


●11月7日、山口へ
広島から新山口までは距離が短く、新幹線で30分しかかからない。というので、ゆっくり寝て、朝食時間ギリギリに滑り込み。駅までタクシーを呼んでもらって昼ごろの新幹線でゆく。新山口で在来線の普通に乗り換えて山口へ行くのだが、各停だから30分近くかかる。新山口にビルが立ち並び、これでは本来の山口市が廃れるのも当たり前。新幹線は罪作りな面もある、

山口駅にある観光案内所で観光地図をもらい、ザヴィエル記念聖堂への行き方を聞くが、バスを降りて坂道を歩くというので、ここはタクシーだ。もう一つ、商店街に大道寺跡のプレーとはどこか尋ねると、これが通じない。わかりませんという。道場前商店街の出口近くにあると調べてきたので、ここはある程度歩くしかないと諦める。

駅のロッカーにスーツケースを入れて外に出ると、街に活気がない。タクシーなんか列になって客待ちだから、さっと乗れて個人的にはありがたいのだが。

●ザヴィエル記念聖堂と展示館
ザヴィエル記念聖堂は亀山の丘を登った静かなところに、モダンなザヴィエル記念聖堂が立っている。最初の聖堂は1926年にザヴィエル渡来400年を記念して建てられたゴジック風の聖堂である。この聖堂が1991年に焼失したため平成10年、現在みる聖堂に建て替えられた。簡素だが大きく軽快、モダンな教会である。階下(一階)全体が記念館になっていて、ザヴィエルの足跡、日本カトリックの歴史など、貴重な展示物がたっぷりあるのに驚く。

礼拝堂と階下の記念館へは入場料ではなく献金袋にいくばくか入れる。教会では一般的な方法。入り口に座っている聖職者風の人から献金額が見えないようになっているので、いくらが適当か、余計な心配はしないで良い。しかし記念館は素晴らしい。新教ではこれほど豪華絢爛な展示物を考えられない。これなら献金とは別に入場料を払いたいと思う。


さて、記念館を見学して出口でもある入り口に戻って、番をしている神父さんに、商店街にあるザヴィエル一行が居住し、かつ説教した大道寺跡に訪ねた。駅の観光案内所では知らなかったので場所を確認するつもりで訊ねたところ「あれは違う、商店街が勝手に決めた場所だ」と、頭から偽物と言わんばかり。驚きましたな。カトリックでは、大正15年にヴィリヨン神父が建てた金曽古のザヴィエル記念公園(市中心から2km離れている)が大道寺跡であるとの公的に確定しているので、神父として言い難いのはわかるが、それにしても乱暴な言質に驚いた。そしてこの神父さんはザヴィエル公園が本物と断定する解釈に、心底少しも疑問を持たない様子である。
なるほど、それでは観光案内所の人が知らないのも道理である。


●道場門前商店街の大道寺跡プレート
トイレで出くわした男性に、タクシーの電話番号がわかりますか尋ねると、自分の携帯ですぐ電話してくれた。とりあえず、商店街の出口近くに車をつけてもらう。降りた角に昔風の八百屋さんがあったので、果物に目のない家内は柿とみかんを買う。果物ナイフはこの辺にないが、刃物やさんが遠くにあるらしい。八百屋を出ると、なんと例の大道寺跡プレートがすぐ隣りにあるではないか。そしてルイス・フロイスの記述にある通り、真向かいに日蓮宗(元法華宗)本圀寺の門があり路地、つまり参道の奥に堂宇が見える。 

ザヴィエルは大内義隆に宣教の許可を得て、その根拠地に大道寺を賜った。然り、日本初の南蛮寺である。3枚のプレートは2010年に設置され、壁面は高さ2mくらい。真ん中に井戸端で説教するザヴィエル、町民に混じって武士や僧侶も聞き入っている。右はフロイスの『日本史』にあるスペイン語の原文と邦訳のエッチングである。

ヴィリヨン神父が、長年探し続けてきた「大道寺跡」と記された古地図を持参した人がいた。小躍りして信じた場所・金曽古は、地図を持ち込んだ男に騙された・・というくだりを、拙著「奈良まち奇豪列伝ツ−ヴィリヨン神父」に書いたので繰り返さない。簡単な解説なら<フロイス大道寺跡>でネット検索してくだされ。

プレートを熱心に見ている我々におばさんとその姪というおばさん二人が話しかけてくる。で、拙子が説明すると、へーですって。市役所前の家で育って今も住んでいるというおばさんは、初めて知ったという。近くに住んでいて本圀寺は知っていても大道寺とか、ザヴィエルがここに住んでいたとかは知らないのですな。家内と長話しなんかして、楽しいおばさん方でした。

彼女の小さい頃、家の前に、いろいろなキリシタン遺物があったけど、ザヴィエル聖堂の人が全部持ち去ったそうだ。この記念プレートが知られていない理由は、どこにもザヴィエルとか、南蛮寺跡とかの大きな文字や石標がない。市側でザヴィエル聖堂と、その大道寺跡の公式解釈に配慮してわざと目立たないように商店街に説得したようだ。

なので、商店街のリヴァイヴァルに役に立っていない。シャッターを閉じた店が並ぶ商店街は誠に侘しいく、早い夕食でもとレストランを探したが、適当な店がない。仕方ないのでコンビニ食にしてホテルで食べる。どこにも果物ナイフがなく、カッターナイフで代用する。これは機械油がついているので、熱湯で洗い流す。ザヴィエルも食べたであろう山口産小粒の富有柿、ちゃんとタネがあり、おいしいおいしい。






Pnorama Box制作委員会


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