安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・日本最後の狼
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( 2016年 10月 10日 月曜日)


●吉野に多い狼
明治の吉野はまだ秘境、車の通れる道路は皆無に近かった。それゆえ狼にまつわる言い伝えが、非常に多い。吉野でなくても、狼谷(奈良と京都の県境)、狼平(大峰山)といった地名は、狼が出没する土地を意味する。春日社の人たちは恐ろしげに語っているが、実際の日本狼は中型犬ぐらいで、世界の各種狼に比べて一番小さく、人に危害を加えることはなかった。吉野の狼話には可愛い内容まであるくらいだ。

奈良学の高田十郎氏が、昭和11年、野迫川村の史料・民俗を調査した際、土地の古老から聞き取った狼の習性や体験談が十話ある。どれも滅法面白いが、いまではどこの古書店さんにもアマゾンの古書にもない。拙子は数年前、古本屋さんで入手したとき、主人は「これが奈良で最後の一冊です」と、さも手放したくない風情でした。この本「随筆山村記」は県立図書情報館や国会図書館にありますが、貸出不可です。

さらに、同じ頃、高取町の民俗研究家、県の農林技師・岸田日出男氏は、昭和10−11年、十津川の古老や猟師32名から絶滅前のオオカミに関する106件の聞き取り情報を発表された。(吉野風土記21、2-41)。これが今年だったか、単行本「日本狼物語」として復刻出版された。岸田日出夫氏は吉野熊野国立公園の、指定運動に奔走した人物。この人物についてはいずれ改めてコラムを書きたいとおもう。

●日本最後の狼、1905年吉野
マルコム・アンダソンMalcolm Andersonという、英国の動物探検調査隊に加わって日本全域に動物を採集して回った米人がいた。通訳の金井清(東大助手)と猟師石黒平次郎を伴って、明治38年1月13日から2週間、吉野郡緒川村(小川村、現東吉野村)鷲家口の前北旅館に滞在して採取した動物を剥製にしていたのである。旅館の主人は大変嫌がったそうです。前北旅館は後の芳月楼、現在廃業だが建物は一目でこれがそうかとわかる銅板葺きの庇屋根、2階の縁は全面ガラス戸である。

さて、1月23日、土地の猟師が、前北旅館に滞在中のアンダソンを訪れ、2日前に撃ち殺したと云う狼の死骸を売りに来た。本人も驚いた8円50銭で売れたのである。破格の値段だが、当時の日本通貨は欧米に比しバカ安だったから、狼の学術的価値を知っているアンダソンには安いものだ。ただし、腐乱が進んでいて剥製にできず、骨格と皮を持ち帰った。彼はイギリス調査団の一員ですから、採集した鹿、カモシカ、猪などの動物とともには英国へ送られ、いまロンドン自然博物館に「最後のホンシュウオオカミ、ワシガグチ」として頭骨毛皮が展示されている。

ニホンオオカミ等身大のブロンズ像、制作・奈良教育大学教授久保田忠和 
奈良県吉野郡東吉野村小川(県道脇)狼説名の銘版あり。

銅像はいかにも狼らしくて、体躯が立派すぎるキライがある。日本オオカミはロシアや欧州の代表的なオオカミより小型で、体長1m+、体重15kg、肩高55cm、コヨーテやジャッカル、野犬に似ていると言われる。拙子は、欧州の狼はセパードに似て、日本のは柴犬や中型秋田犬に似ていると思う。

上;The Chrysantimum journal, 1881 お雇いドイツ人教授D.Brounsが横浜で出版
右上:Honshu wolf, ( http://mysteriousuniverse.org/2015/06/the-mysterious-wolves-of-japan/ )

ノルウェー系米人の動物学者アンダソンは、この狼こそが日本最後の「種」と主張、購入した1905年1月23日を絶滅の日と定め、国際的にていちゃくした。果たしてそうだろうか? 次回に続く。







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