安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・春日山の狼
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( 2016年 10月 9日 日曜日)


●春日山の狼
春日山には他所では見られない、生き物が潜んでいる。1000種が春日の山中に生息しているのは、照葉樹林が多くあるためである。杉や松ばかりではそうはいきません。日本狼が絶滅したのは、明治になって杉、檜の植林が奨励され森から落葉樹が消えたからと言われている。

幕末まで狼がいた。鹿を食い殺すので、文久元年4月25日の真夜中、春日神社近くの鹿道(ろくどう、万葉植物園の入り口辺)で猟師二人が雌雄の狼を発見、猟師久八が、雄の狼(ニホンオオカミ)を仕留めたことが数日後の奈良最初の新聞「日新記聞」掲載された。

討ち取られた狼を、奈良の日本画家・宮崎豊広が等身大に写生、体長,体高,尾の長さなど尺寸で注記がある。春日大社がこの「狼の図」一軸を所蔵している。

資本着色 縦91cm 横106cm、明治27年4月、持ち主の禰宜・千鳥祐順が春日大社に寄付した。
左:「大和百年の歩み」文化編より。右:頭部のアップ、北村信昭、「奈良いまは昔」より

この頃は、夜半に鹿を襲う狼が出没し、社家では夜中に吠え声が聞こえて恐ろしげである。それで猟師を募り、狼狩りを行った。人間ですら神鹿を殺せば極刑とされていたので、奈良奉行にお伺いを立てるまでもない。打ち取った狼はまず、春日大社歴代宮司を勤める大乗院にご覧いただき、京都に運んで大乗院の上役たる関白・藤原家摂関二条斉敬(なりゆき)に供覧した。

●若草山の鹿を襲撃した野犬の群れ
県令・四条隆平(たかとし)が明治5年、若草山の麓に鹿より牛を飼えと丹後牛を30頭放牧したことがある。この牛が狼どもに食われたというので、寺務所が猟師を募り撃ち殺そうとした。日新気分によると、この時、胆気のある久八という牧夫、深夜深草に伏し隠れ、狼の来るのを待っていた。火縄銃で二頭仕留めたが、よく見ると狼でなくて野犬だった。野犬の群が牛を噛み噛み追い回し、走り疲れた牛が仆れて立てなくなると、生きながら食らうという。むごい。それから10年後、久八さんは猟師として上記春日山の狼を仕留めるのである。



インドの草原で鹿を襲う野犬のイメージ、写真はインドの写真家Krishnanの連続写真より。






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