安達正興のハード@コラム

Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・春日山原始林
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( 2016年 10月 6日 木曜日)


●春日山
春日山とは御蓋山(安山岩)、花山(片麻岩)と香山(高山)(片麻岩)、最高峰・芳山 (ほやま 花崗岩、凝灰岩 512m)の総称、もとは春日神社の領地であったが、明治の社寺分離によって、官有林になり、明治22年に奈良公園に編入された。したがって奈良市の公園課が春日山の保全と管理に当たっている。

平成22年ごろ、長慶石造物を探して鶯の谷歓喜天から山道を南へ登って行くと、人気のない作業場のようなところに出た。戸外に鉄の五右衛門風呂が置かれていて、懐かしくそ眺めていたら、バイクの乗った営林の人らしい作業服の男性が南から上がって来た。いきなり「どうやって来られたのですか、ここは立ち入り禁止なのですが」と慇懃に注意される。「歓喜天から登って来たんですが、禁止の立て札はなかったですよ」。すると「ああ、あっちには禁止札がないですね」と苦笑。

ドライブウエイの方からは立ち入り禁止になっている由。ここは枯れ木を粗く製材してトラックで運び出す時に使われる宿舎と作業場なのですが、普段は無住ですから、浮浪者が住み着き、焚き火をして危険なので見回りにきているという答え。公園事務所の人でした。

●光明皇后が春日山中の高地に寺を建立
春日山一帯は藤原氏全盛の頃、殺生/狩猟と伐採を禁止、庶民の入山を禁止したが、かといって森林保護に精出すこともなく、公家や春日の人間は自由になんでもできた。すでに奈良時代、大仏建立を聖武天皇とともに発願した光明皇后が、春日山中に香山寺を創建した記述が、東大寺文書にある。場所は鳴雷(なるいかづち神社、禁足地)からさらに300mばかり山麓を西へ進むと尾根に出る手前の平地に幅広く緩やかな石段があり、礎石らしい石が転がっている。ここが香山寺跡だろうと奈文研の調査で示された。

他にも、豊臣秀吉が一万本の杉の苗木を植樹している。その前に秀吉は方広寺(奈良の大仏より大きい大仏を鋳造し祀った。焼滅)を建立するにあたり、春日杉の巨木を入り倒した。方広寺が焼滅したのはバチが当たったと思ったか厄除けに植林したのである。実際、春日杉の植生分布は400年前の秀吉の植樹によるとする学者が少なくない。

●「古都奈良の文化財」として
春日ドライブウエイ、春日遊歩道にはいくつも瀟洒な休憩所が設けられ、当然、厳密な意味での原始林ではない。台風被害は放置できないほど甚大で、そのたびに補植されてきた。そのような春日山が世界自然遺産に選ばれることはありえない。遺産に登録されたのは、「古都奈良の文化財」として六つの寺及び平城宮跡と春日山原始林を一括申請したので可能になった。つまり春日原始林、自然の原始林でなくて、文化としての原始林なのだ。
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