●沙羅蒼樹の花
祇園精舎の鐘の音
諸行無常の響きあり
沙羅蒼樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
平家物語の冒頭の一節、この知られすぎた名文を持ち出すとは拙子も古くなった。釈迦の涅槃の図をいろいろ見ていたら、ふと気がついて今夜は沙羅の木について、季節外れだが一文しておこう。
●涅槃図像の移り変わり
涅槃の図像は本国インド・ガンダーラの肉感的な像、タイの金ピカ横臥像、中国では雲岡石窟、敦煌石窟に簡略化されたレリーフがあり、涅槃経が作られた。日本に入ると、ほとんどが絵図になる。涅槃の釈迦に集まる僧や衆生の数が、次第に増え、自然の中ではなく寺院の中で豪華なお通夜
をしているような絵図があらわれる。釈迦が目を開いている涅槃の図像もあって、これは釈迦がまだ生きていて、横になったまま説教をしていた頃の図であるという。目を閉じ、悲しみに沈む人々に見守られている図は死後ということになる。
涅槃の図像には必ずそれとわかる約束事(仏教の常識)があって、
お釈迦様は【右手枕で、北枕、西向きに横たわる】
という形式が概ね共通している。そして立体像にはないが、図像では必ずサラの木が描かれている。暑いインドで影を作る常緑の大木、「蒼樹」でありながら房状の花を咲かせる。お釈迦様の邪魔にならないよう、幹の上方に茂る葉が描かれている。死後を表す涅槃図では沙羅の木が枯れ木になるのもある。
●唐招提寺の沙羅の花
インドの沙羅は、熱帯性フタバガキ科の大木であり、日本には根付かない。根付かないから替わりに「夏椿」をサラと呼んで寺々に植えている。興福寺、秋篠寺本堂前、薬師寺東塔の北脇、西大寺愛染堂前にも一本あるが、特に言及される沙羅の木は、鑑真和上のいた唐招提寺の講堂裏、鑑真廟への途中の立木の中にある数本のサラであろう。かなりの大木で、花は6月梅雨の頃に咲くが、高いところで咲くので目立たず、ポトリと落ちた花を見て、アァ咲いていたな、と思うそうです。だから鑑真ゆかりの……と言われるほどには観光的ではないが、ポトリと丸のまま落ちる沙羅蒼樹の花は、盛者必衰の理をあらわす、としみじみ思う。