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赤壁賦
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( 2016年 9月 13日 火曜日)
●古い白磁の絵付け
宗の蘇軾(そしょく/Su Shi /1037-1101)蘇東坡とも呼ばれる、が名月の下、長江Yangtzeに友と舟遊びをした時の詩。少し長いが有名な詩ですから、「赤壁賦」という古い漢詩があることは、高校で漢文を習った世代なら旧知の廃物知識だろう。 拙子の家にこの赤壁賦を書き込み、舟遊びの絵付けをした磁器がある。嘗てはドンブリ茶碗に使っていたのだろうか、飾りにしていたのか知らないが、一応箱に納めてあった。当地に送った両親の遺品のひとつである。白磁にコバルトで描いたよくある磁器であるが、文字、絵、内側の波模様は全て手書きである。少し黄ばんでおり、文字も絵も下手くそだが、釉に小さな残しが数カ所あり、「永楽?製」(?=年)とわざわざ偽物と分かる年号が大きく描かれている。3枚目の写真は「佐賀県九州陶磁館」が所蔵する1700年代の中国製と思われる小鉢。拙子のドンブリは、これを真似てつくった明治日本製だろうと素人鑑定している。 とはいえ戦前戦後にかけて、中国と日本から欧州に輸出されたチャイナとして知られるポーセリン(磁器)は、絵付けに転写を用い、大量生産したものである。欧州の骨董屋で大量に出回る当時の粗悪品チャイナや伊万里よりはマシと慰めている。
次の書は趙孟頻(ちょうもうふ/Chao Meng Fu 1254-1322)という元代の人。フビライ・ハンにも仕えた文人政治家、書家として一派を率いた。蘇軾(そしょく)の詠んだ「赤壁賦」は当時民間に大いにヒットしたので、蘇軾は2倍長い「後赤壁賦」を書き加えた。 上掲写真は趙孟頻が二賦を30葉に書いた最初の一枚である。よく見ると一点一画をも疎かにしない楷書があり、太い扁額のような文字や草書がある。書体が一定しないこんな無手勝流があるとは思いもしなかった。で、書体がバラバラでありながら、違和感がなくホレボレする闊達自在に唸りました。 ●長江月明かりの舟遊び屈原の楚辞をもとに漢代に作られた語り文学、フシをつけて朗詠され。語り次がれてきた話を完成したのが、蘇軾(そしょく)である。蘇軾は文人官僚だったが、政争で黄州に流され、三国志にも出てくる「赤壁の戦い」があったあたりを友人二人と長江の舟遊びに興じ、吟唱、酒を傾けて悠久の自然と人間の儚さを詠じた。もっとも、赤壁は蘇軾が流された土地にはないが、詩は想いの滲みである。詩の原文や読解は拙子のガラではないのでネットで検索されたし。 蘇軾・舟遊びの山水画は多い。中国の山水画ではサオの小舟に屋根なく、櫂をあやつる船頭、蘇軾とその友人二人、計4人が描かれている。日本の絵付けでは3人が屋形の中でくつろぎ、船頭が外で櫂を漕いでいる。ウーム、拙子は月明かりと提灯を吊った屋形船が良いな。 |
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