安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


------- ----------------------------------
奈良零れ百話・屯鶴峯
------------------------------------------
( 2016年 9月 11日 日曜日)


●葛城、二上山のドンズルボウ
12歳の頃、小学校の遠足で、初めてドンズルボウに行った。貸切りバスがなかった時代、どうやって二上山の屯鶴峯へ行ったのか交通手段は覚えていないが、近鉄電車を何度も乗り換えていったように思う。香芝は大阪と電車が通じ、奈良市に出かけるのに不便である。道路が発達した今では信じられないことだが、香芝は当時の奈良市の子供には異郷であり、ド田舎であった。ただし、二上山は家からも目に見えるので知ってはいたので、そこにドンズルボウと呼ぶツルツル頭の坊主のような滑る石の山がある……そう思っていた。実際、少しは滑る岩場もあったが、難なく登れて、30分もすれば飽きてしまった。

遠足から帰ってからも、実は郷土奈良のことを調べ出したごく最近まで「屯鶴峯」と書くとは知らツル天坊主のイメージが消えなかった。拙子は当地に移住してから、ベルゲン大学で地質学Inst.にいたので、生駒山系の概要もつかんでいるつもり。で、二上山でサヌカイトが採れたというので、日本の知人に所望したところ、生駒のは取り尽くされてないが、四国産ならあるというので一つ頂いた。爪で弾くと実に透明でピュアな音が出る。

●二上山は「ふたかみやま」
さて、白色凝灰岩層が露出する白い円丘状の屯鶴峯は、ツルが屯(たむろ)しているように見えるところからつけられた呼称と言われる。一方、二上山「にじょうざん」を、「フタカミヤマ」と呼ぶ大人も奈良にはいた。

大津皇子(の墓)を偲んで大津皇女が詠んだ「明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)」と見る歌はよく知られる。この歌はフタカミヤマであればこそできた。

また葛城の地名は、神武記によるとこの山に土蜘蛛(手足が長い蜘蛛のような人間))が蟠踞していたのを、葛の蔓で編んだ網で捕えて退治した。ま、これは後世にできた伝説ですが、「かつらぎ」とは美名である。

万葉言葉を使えとは言わないが、和語をなぜ音読するようになったのか、江戸時代の漢学者は日本各地の地名を中国風に音読させ、新名所に中国風の名をつけることが流行した。寒霞渓とか耶馬渓とか、馬鹿馬鹿しい。和語を大切にしたいものです。






Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る