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奈良零れ百話・白鹿
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( 2016年 8月 24日 水曜日)
●神鹿(しんろく)と白鹿(はくしか)
春日大社の祭神は建甕槌命(たけみかづちのみこと)。この神様は今の茨城県にある鹿島神宮から白鹿に乗って、春日野に来られた。という伝説が定説になっている。トコトコと茨城から白鹿に乗ってくるのではなく、白鹿に乗って空を飛び、雲間から降りてこられたとするのがより伝説に近くてよきかな、と拙子は思う。 種を明かせば、次のような話になるだろうか。白鹿伝説は中国が本場、漢の武帝が白鹿にあってよろこんだとか、白鹿に乗った仙人など中国神仙思想、道教が日本に入ってからのことである。平城京ができて興福寺が建てられた頃は、法相宗の大本山と言えど、法相宗は小難しくて伝説作りには向かない。興福寺は藤原氏の氏寺として建立され春日社を支配した。中臣/藤原氏の故郷の氏神である鹿島神宮と、白鹿伝説をミックスして鹿を神使とする神鹿伝説が作られたと、まあそんなところだろう。 ●神鹿から害獣を経て観光資源に ●灘の生一本、 ●白鹿の実体 戦前に鹿鳴苑(ろくめいえん)が発行した春日白鹿の絵葉書写真がある。春日大社万葉植物園で飼われていた子牛ほどもあったオスで、中国産。春日社家の故・竹下あきら(日ヘンに吾)氏によると、満州国間島派遣池田部隊が匪賊討伐に向かった時、土地の漁師が生け捕った白鹿を寄贈された。池田部隊はこれを宮中に献上し、昭和天皇が昭和8年鹿にゆかりのある春日大社に下賜された。その白鹿が昭和14、5年に死んだのを記念して写真ハガキになった。 発行元の鹿鳴苑という名は聞いたことがない。鹿鳴園の誤りではと思う。鹿鳴園は仏像写真家の松山志良が、転害門の近くで昭和初期に開業した写真店で、氏は万葉植物園の写真集を出している。現在子息のご老人が東大寺境内で同名の食堂を開いておられ、店名の題字は会津八一(秋艸道人)が松山志良を応援して揮毫したものである。店内に志良氏の黒バック仏像写真が展示してあります。 さて、下の白鹿の写真も黒バックで静物的、見れば見るほど剥製ではと思えるのだが…… |
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