安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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吉城川の想い出(2)
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( 2016年 6月 15日 水曜日)


●水門町の中を蛇行する
水門町、吉城園と依水園の間から顔をだす吉城川は、直ちに橋の下を通り、水門町の家々の間に入るので、この辺りも一般人は入れないホタルの舞う秘密の場所である。今は橋がなくなり、戒壇院に向かって少し道路下の暗渠に隠れてから西側に川筋があらわれ、民家の間を蛇行して白蛇川と合流する。

拙子の少年の頃は、橋をくぐって道路沿いに数十メートル並行して流れ、そこからら西へ両側に木々の茂る私有地に入っていった。白蛇川と合流するところは道路からよく見えないが、合流地点から入江泰吉氏の旧居裏を通る。一般公開されているので、吉城川に面する裏庭に出ると、自然の吉城川が見えるが、今は水量激減であまり美しくない。この辺り、川の西側は広大なお屋敷があるので昔はまさに自然の森の中を流れる風情だったが、拙子は潜り込んだことがないのでよく分からない。

戒壇院の手前を水門町から押上町に出る坂道を降りたところに、今骨董屋さんがある。その骨董屋さんの横に吉城川が流れて来るのであるが、ここから吉城川を遡ってゆく細道が入江さんの裏まで通じていた。本当は通行禁止の家々の裏道なのだろうが、昆虫採取にいいところでした。

余談1:入江泰吉旧居の表札が、上司海雲師の書になっている。入江さんがお住まいの頃から美術館として公開されるまでの鄙びた玄関には、入江さん独特の自筆ペン字による表札が掛けてありました。手紙や書類に入江さんがサインする時の、一見してわかる入江さんの文字である。そりゃまあ海雲師の筆の方がうまいでしょうが、ご両人が故人になって久しい。海雲師が表札のために書いた文字でないのは明らか。表札を取り替えられて拙子はたいへん残念だ。

余談2:登大路から水門町に入ると、まず右に知事公舎がある。向かい側は緑池に沿って官舎が並んでいた。拙子のいた頃は奈良地裁裁判長、税務署長、県警本部長の官舎の白塀が並んでいた。最後の豪邸は軍の御用商人・佐瀬家の豪邸である。政治評論家の昌盛氏はこの佐瀬家の長男だったとさる人から教わった。いま官舎一帯が取り壊され、更地人っている。すからどうなるのか知らないが、国・県の所有地として再利用されるのだろ。

余談のおまけ:知事公舎の向かいは厚い白壁の今は更地の国有地であるが、この壁の上塗りが異常に固い。ふつう白壁に石を投げるとペコンと凹み、傷がつく。ところが知事公舎の向かいの白壁は厚さが1メートル以上ありそうな贅沢な瓦屋根の壁で、石を投げるとカーンと跳ね返る。どういう上塗りか、年長者は特別な漆喰だと話していたが未だに不思議である。はて、あの壁は昔のままだろうか? 今は誰も住んでいないでことですし、いつか小石を用意して、もう一度確かめたいと思う。思うだけですが……。

●戒壇院下の家で奇術の夕べ
吉城川は南口(なんこ)さんの前を西におりると、道路から一段下にある小さな骨董屋さんの横を流れて、大仏殿前の鏡池から流れ出る小さな川(名前を失念)が戒壇院の石段前を流れて吉城川に合流する。この合流地点の手前、水門町の奥詰めと川の三角土地に、拙子が中3の頃か、母の知り合い(仮にKさんとしよう)が瀟洒で近代的なバスやキッチン、寝室のある家を新築された。その家に奇術師木村壮六という人が客としてこられていた一夕、Kさんは懇意な友人を招いて「手品会」を開かれた。小生も兄弟姉妹とご相伴に預かり、かしこまって木村壮六というでっぷり太った人の手品を二間開け放した部屋で見せてもらった。ベランダの下を流れるせせらぎの音が聞こえる。

有名な奇術師と紹介された壮六氏の演目の一つ: 壮六氏に手錠をかけ、鍵は客が持つ。壮六氏は後ろ向きに座って尺八を吹きながら、手錠を外すというマジックがあった。

客の中に本物の刑事さんがいて、手錠を確かめられたが本物に相違ないという。もちろん鍵は、観客たるお呼ばれ客が預かった。奇術師・壮六氏は後ろ向きといえ、我が目のまん前に座っている。尺八の風音に混じって手錠の金属音が聞こえたが、一曲終わって振り向いた壮八氏の両手に手錠がない! 十数人いた観客は皆あっけにとられていました。TVでマジックを見ている限りは、どうせ種明しのトリックがあるのだからと考え込んだりしない。しかし目の前で起こるとショックで頭が作動しない。あれから60年、未だにわからないから時に悩ましい。

吉城川はKさん宅の横を過ぎると、今は石で護岸した川幅4mぐらいの川になるが、水辺に潅木や草の緑が残る。そして川は奈良街道たる押上通りに出て威徳井橋の道路下を通り、北半田から川久保町に向かう。威徳井橋を過ぎるともう緑の自然とはお別れだ。風呂水、洗濯水など垂れ流しが、密集人家の間を縫って一挙に水質が悪くなる。拙子の少年の頃は実際ひどい川だった。今では垂れ流しもなくなり、セメント底のドブ川は水量が減ってチョロチョロである。次回はそのあたりから佐保川に合流するまでの話しを続けよう。






Pnorama Box制作委員会


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