安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
白夜とミッド-ナイト- サン
------------------------------------------
( 2016年 6月 3日 金曜日)


●夏至近づく
もうすぐ、6月26日に夏至を迎えます。日照時間が最も長い日、当地ベルゲンでは午後11時に太陽が北西に沈み、夜明けが夜の4時20分。手動でスイッチを入れる外灯は忘れがちになります。

ベルゲンは北極圏の南にあるので、完璧に日の沈まない日はないのですが、それでも夏至の頃は真夜中でもヴェランダで本が読めます。

●白夜と真夜中の太陽
日本では日の沈まない夜を白夜と呼び習わしてきた。来は「真夜中の太陽」Midnight sun,ノルウェー語ではMidnattsolミッナットソルという。White night というと、眠れぬ夜のこと、白々明けるまで鬱として眠れない夜のこと。「真夜中の太陽」は夏至の頃の明るい夜のイメージであって、眠れぬ夜ではない。だから、西洋人にホワイト・ナイトと言ってもテンで通じないのである。

では、「白夜」と名付けた言い出しっぺは誰だろう。
定説は、ドストエフスキーの短編小説「Белые ночи」(White nights)を二葉亭四迷がモスクワに滞在して翻訳、題名を「白夜」と正しく直訳したことに始まる。舞台となったペテルスブルグ(現レニングラード)は北極圏のかなり南でMidnght sunは起こらない。でもまあ、夜遅くまで薄明かりがあるから、少しは気象を表す題名と言えるかもしれないが、小説は悲しい三角関係の愛の物語である。

二葉亭四迷は意外にデリケートな人で、モスクワに滞在して翻訳していた時、夜の明るさで時間感覚を失い、眠れずノイローゼになったという。拙子は鈍感で朝、昼、夜、いつでも眠れる。今も窓にカーテンかけずに平気で寝ている。ま、何度も少用に起きるがすぐまた眠れる性分だ。

●映画・白夜
調べると映画「白夜」は1957年に上映された。この映画はイタリアを舞台にヴィスコンティがフランス映画(Nuits blanches)として制作した。拙子が中三か高一の時で、ヒットした映画でしたが、小生は見た記憶がない。ただ、当時は映画のポスターが盛んで、この映画の縦長大判のポスターはよく覚えている。景色がない霧の薄明るい中、ぼやけた街灯の下で憂いに満ちた主人公の二人が立っている。大変ロマンチックな映像で記憶に残った。この二人がマルチェロ・マストロヤンニとマリア・シェル、音楽がニノ・ロータとは今、調べてわかった。

この題名「白夜」は、原作の題名であり、だから中国でも「白夜」という題で翻訳されている。問題は、舞台のペテルスブルグが北極圏(北緯66.6°以北)の外なので夏の真夜中の太陽を指しものではない。だから、イタリアに舞台を移しても小説と違わないのである。にもかかわらずWhite nights=Midnight sunとわが国で誤解され、常識になってしまった。

●はくや、びゃくや?
次の俳句は真夜中の太陽との関連で歌われた。「はくや」と読むのが正しい。白い色は音読みで「はく」、熟語の先頭から「びゃく」とは読まない。次の俳句はすべて「はくや」と読むべきです。

     九時は九時十時は十時白夜かな    久保田万太郎
     夏至白夜波たちしらむ漁港かな    飯 田 蛇 笏
     帆船にムンクの貌のあるはくや    石 原 八 足
     わが泊つる森のホテルの白夜かな   山 口 青 邨

だが、近年は白夜をびゃくやと読む。NHKの標準語とさえなった。拙子の持つ季語辞典にも両方の読みが記されている。

     さまよえばからだにたまる白夜かな  江里昭彦

など現代作家の俳句は「びゃくや」と読むのが正しいのであろう。

●「びゃくや」の由来?
定説は森繁久弥さんの「知床旅情」1970、
     ?はるかクナシリにびゃくやは明けるぅ?
から一般に普及したと言われる。だが、ビャクヤ読みはもう少し前からあったように思う。すでに1957年の映画「白夜」はビャクヤと読んでいた。でもなんですね、知床に真夜中の太陽は出ないのに………。日本国は北極圏にかかっていないのです。外国人に知床は白夜になると言っても通じないのです。知床は寂しく鬱陶しいところかと誤解される。

とはいえ「真夜中の太陽」、「真夏の夜の太陽」と呼ぶと長ったらしくて風情がないわな。それがしも、日本国内ならMidnght sun を「白夜」というのが最適との考えに至りました。








Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る