安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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十津川の文武館
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( 2016年 6月 2日 木曜日)


●奈良の名門校
奈良の名門校といえば、どこだろう。
拙子のころは偏差値というものがなかったので、数字で示されるとすれば東大や京大に何人合格したかで決められたように思う。進学私立としては東大寺学園中学があったが、高校部のなかった頃だから、奈良女子大付族高校が難関だった。蓋し男が極端に少なく、奈女子大に進学する女性徒が中心では男性は気力が失せる。ここの男子生徒は1年生のとき優秀でも、卒業する時は凡才になっている。なぜかは、わかるような気がする。拙子は女性徒の少ない高校だったが、成績優秀は男でなく女性徒だった。なぜかわからない。

県下では、一般的に旧制中学の序列を継いで 奈良、郡山、畝傍の各県立高校が良いとされた。しかし、受験校と名門校は同じではない。

●十津川の文武館
十津川文武館は現在「県立十津川高校」になっているが、文武館が存在した頃は全国にも類を見ない名門校であった。生徒数が50人に満たないので、行き届いた教育を施し、生徒どうしの絆が強い。加えて剣道、柔道で鍛錬し、文武両道の青年を送り出した。

平成26年に十津川高校で「文武館創立150周年記念式典」が行われているから、寺子屋時代、明治維新前、藩校時代にできた青年男子の教育施設である。

十津川に藩はないので藩校はない。十津川村とは平地がないためコメが取れない。それで年貢を江戸幕府からも、明治政府からも免除されていた。いわば県の半分の面積を占める独立共和国みたいなもので、村長さんの暮らしは餓死しない程度であっても立場は県の半分の長である。

文武館は孝明天皇の内勅により創立された、と公式にはそうなっているらしいが、だから名門とはサルでもおもわない。明治、大正、昭和の初期、県に移管される前までの文武館について、拙子は読み知識しかないが、これぞ名門と言いたい。

十津川の人材は全員が文武館の出身者と言っても言い過ぎではない。山岳地帯の吉野には平地がない。川の崖上を切り開き本館、寄宿舎、職員の社宅を建て、武術道場などが高低差のある大小の建物が散在する。運動場は無きに等しい。まずまずの広さになったのは県に移管されてからである。

●高田十郎『十津川日記』
大正7年高田十郎氏が、十津川村教育会に招かれた(往復は難行)。九日間文武館に滞在して講習した時の随筆「十津川日記」に、こんな文章がある。

【私立中学となっているが、全く十津川村の経営で、村長がその管理者、校長を館長といひ、舎宅を官舎といひ、教員は教諭なのだらうが、風川村長などは、自然「教授」と呼んでゐる。なんともなく古風だ。十津川村中には、今三十の小学校があるが、その教員は大抵土着人で、そして大抵は此文武館の卒業、または一部終了者である。その他現在各方面の然るべき人物も、凡そ十津川出身といへば、殆んど皆文武館の門をくゞってゐる。文武館の此郷に於ける地位は、全く意想外の者だった。】

講師である高田氏、受講者の教育委員や教育委員や教師が夏休み中の教員宿舎と寄宿舎に泊まり込んで、密な議論が行われる。賄い所の老夫婦が全員の食事を作っているが、一度、海の魚が出た時にはどこからこんな貴重品をと肝をつぶした。しかし粗食のせいか、夜の酒盛りは賑やかである。

また、村長は高田氏を「あなたはエライ」という。何かと思えば、高田十郎が靴を入って十津川入りした二人目という。一人は明治30年代に郵便事情視察に来た大阪の監督局長だったという。そして二人とも苦情を言わず、足が痛い、食物がマズイと愚痴るのは同行・随行者の方である。ということは普通は草鞋履き、でなければハダシか下駄履きなのだろう、それじゃ足がもちません。

●団結力
【十津川は法外に広い村で、谷ごとに風俗も多少違い、人情も異なる。さらに生活基盤が弱いだけに経済上の利害関係もある。が、それでいて一村一郷としてまとまってゆくためには、何か訳がなければならない。
 即チその団結のカスガヒは、第一に村の由緒を具体的に物語る小原の十津川宝庫、第二は文武館、第三には共有の勧業林である。しばしば「郷」とか「郷の先輩」とかいう言葉をきく。元来世間は人間で動く、薩長のことは、ただ聞いてゐるだけだが、現に目前の十津川には、確かに此強い団結力が見えている。】

拙子、少年の頃夏休みを過ごした吉野の親戚に、十津川出身の住み込み店員がいた。朴訥な中卒青年だったが、威儀を正し住み込み丁稚としての礼儀をわきまえ、番頭よりずっとデキがよかった。いま思うと、郷を背負っていたのであろうか。






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