安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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オスロを来訪した文学者・武者小路実篤
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( 2016年 5月 16日 月曜日)


●ムシャさんと色紙
拙子の若い頃、年上の者がムシャさん、ムシャさんという。何かと思えば武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)のことを話しているのだ。氏の著作では「真理先生」を読んだように思うが、内容は記憶にない。しかるに商店、喫茶店、八百屋、本屋などいたるところに野菜を淡彩に描いた色紙があって、〔仲良きことは美しきかな 実篤〕 とか、氏の格言が誰にでも読める太字で書かれサインと落款が押してある。画材屋さんでも氏の色紙、あるいは複製を売りものにしていました。

拙子は氏の小説も色紙も氏が実践した「美しき村」にも興味がない。ムシャさんと友人で奈良に関係の深い志賀直哉の作品も、拙子の感覚に合わない。そういうこともあって、志賀直哉のことも2001年から書き出したコラムに一度も取り上げていないのであった。白樺派は苦手、気がむかないのである。

●約8ヶ月の欧米旅行を体験
武者小路実篤は51歳の時(昭和13年1938)、4月から12月まで欧米旅行を経験している。それでアジア人蔑視や苦々しいことどもを体験した結果、理想郷の実現をかなぐり捨てて、太平洋戦争が始まると戦争賛成に一変、戦争協力活動により公職追放を受けている。そして追放令が解除された年に文化勲章を受けた。お疲れさま授与なのかな、拙子にはわからん。しかし、武者小路実篤のように、欧米体験によって欧米を憎むようになった文化人、学者は少なくない。

ではオスロを訪ねた時はどうだったのだろう、と氏の随筆「北欧旅行」を読んでみると、結構に楽しんでいらっしゃる。少し引用する:

【自分は今度の旅行で一番北はオスロー(原文のママ)である。オスローでは矢張り第一に頭にくるのはイプセンのことである。ドイツにもイプセン以上の人もいるだろうが、しかし近代の脚本家としてはイプセン以上はいるとは思えない。しかしもしベルリンにイプセンの墓があるとしたら、僕はその墓を見に行かないだろう。しかしオスローに行くと、イプセンの墓に詣でたい気になるのは不思議だ。オスローに来た記念の意味もいくらかあるかと思うが、何と言っても脚本をかく自分にとってはイプセンは恩人である。】

【イプセンの墓を見ている処を一緒に行った中谷君が写してくれた。もう一つはビョルンソンの墓で写してもらった。イプセンの墓の方は敬意をhちょうして帽子をとり、ビョルンソンの方は親しさを見せて帽子をかぶったままにした。−中略− ノルウェーの国民にはビョルンソンの方がずっと親しまれているらしく、エハガキもいく種類もある。】

その他、久保田万太郎も満喫した「民族博物館」に感心し、小説家や挿絵画家、舞台装置などには実にいい参考になる、日本にもこう言う大げさな博物館もあっていいように思う、と述べている。

●美術館めぐりと美術論
欧州ではベルリンに最も長く滞在し、画架を持ち歩いてスケッチに余念がない。美術館めぐりが主な目的であり、随筆には画家論、美術評論が多く語られていて、中に『セザンヌ、ゴオホは僕にピッタリくる。ドイツは音楽、詩、哲学、科学、器械類は世界で一番すぐれた人種だが、画家は二流と一刀両断。

随筆には人種的屈辱を味わったことがさほど書かれていないが、西洋人は趣味が粗雑で、日本人ほど洗練されていないと論じ、【日本に帰ったらどんなにおちつくだろうと思っている】と漏らしている。

折々大使や公使が高名な武者小路実篤に同道して、美術館を見に行くなど厚遇され、西洋日本の比較文化を是々非々に論じる平衡感覚を維持しつつも、西欧での生活に馴染めなかった。この生活習慣の違いと、日本では経験したことのない粗野な西欧庶民の応対に戸惑い、憤懣を溜め込んだようだ。

   






Pnorama Box制作委員会


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