安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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オスロを来訪した文学者・久保田万太郎
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( 2016年 5月 13日 金曜日)


●国際ペン大会、1951スイス
小説家で劇作家の久保田万太郎氏が、昭和26年(1951)に、スイスで開かれる国際ペン大会に出席のためローマに到着。会議までまだ日があるので、久保田万太郎、石川達三、芹沢光治良、池島信平らがロンドン見物に出かけた。この時はNHKから英国BBC本部に勤務していた日本人二人にお迎え、ホテルなどの準備をしてもらう段取りになっていた。

愛宕山のNHKから公式に連絡があるといえ、『ムカエタノム』とローマから電報を打ち、ヒースロウに降りると5月なのに寒くて暗い。心細くも滅入るように航空会社のバスに乗って待ち合わせのケンシントンにある航空社の出張所に降りると、お迎えの二人が暗がりに立って待っていたのです。

こいう時の八つ当たりブツクサから、迎えに会えて喜びと頓首する文学者の気分がとても素直である。

●途中オスロへ
しかし久保田万太郎は同行者と別れてオスロで開催されるイプセン国際会議に集積するため、一人旅でオスロにやってきた。久保田万太郎は慶大英文学の出身で、読む方は確かでも、話すのは苦手らしい。ここも日本事務局からの連絡で、国際演劇センターの若い所長がオスロ空港で出迎え、ホテルまで送ってくれた。

ホテルに入ってしばらくすると、新聞の女性記者が訪ねてきた乗せある。国際演劇会議に諸外国から100 人が集まるが、極東からの出席者はあなた一人、よくはるばる来られました、とまぁ珍しいのでインタビューを受けた万太郎氏。今までなら、石川、池島氏がしゃべってくれ、陰に隠れていればよかったが、もう逃げ場がない。それでも辞書や筆談を混ぜて、日本の近代劇運動とイプセンについて、「人形の家」はじめほとんどのイプセン戯曲が翻訳、研究され上演されていることなど1時間あまりのインタビューをこなした。話したい内容を持つ人なら、言葉に問題があろうと、聞く方は熱心に理解しようと努める好例である。

翌日から日本育ちのオルセンという日本語を自由に話す人が三日間の会議、会議後に付き合ってくれて、民族族博物館でコンチキ号や、バイキングの遺品を見学して大変楽しい日々を過ごされた。オスロ滞在は観劇、演奏会にも積極的に足を運びんで一週間に及び、毎日毎日が新鮮な感動に満ちていて、氏の紀行文(『オスロ』昭26,龍星閣刊)は初々しい。グローバル化と画一化された今の海外旅行が失ったものは大きい。

●白夜かな、オオスロで詠んだ歌

    九時は九時 十時は十時 白夜かな
   人通りさすがに絶えし白夜かな
   誰一人、日本語知らぬ白夜かな
   土曜日のまためぐり来し白夜かな
   手に持てるリラ一トつかね白夜かな
   






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