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海運学者、下条哲司先生の想いで
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( 2016年 4月 23日 土曜日)
●ベルゲン経済大学客員研究員として約一年
下条哲司さんがベルゲンにあるノルウェー経済大学に一年間客員研究員で来られたのが昭和25年(1977) 、拙子が当地に来て7年目の春、復活祭の前日に家内と空港へ迎に行くと、丸っこい顔と体の人懐こい先生だった。 当時の先生は確か神戸大の助教授だったが、数年前にこの当地の経済大に出張して、気に入ったことと、京大学生時代にここベルゲン経済大学の有名なストロムスネス教授の著書「海運学」を教科書にしていたことが理由とのことでした。S先生はその時すでに退職して名誉教授だったが、シアターや文化活動が主でよく新聞に出ていたので拙子ですら写真で顔を知っている人物だった。 ● 復活祭休暇にまいったさて、ベルゲンに到着した日が復活祭休暇の前日で、念のため湯沸かし、鍋、フライパンと、少しジャムなど食料を買い込んで、入居される寮に下条さんを送って行った。ベルゲン大学の学生、夫婦学生から、大学教教員も入るところなのですが、空港と市内の中間にあって、復活祭休暇の間はバスも間引き、商店は一斉に全部休業しますから、寮の前のスーパーで適当に4日分ほど食べるものを用意しておいてください、と説明しておいた。 ところがもう一つ反応が安易でハイイハイと返事されるので、まあいいだろうとその日は寮で別れた。 ところがやはりタカを括って、そんな店が全部閉まるってことはないだろうと、その日に何も食料を買って置かれなかったのですな。 翌日、確かにあらゆる商店が閉まっていた。大学はもちろん人っ子一人いません。セブン・イレブンもなかった時代、もちろん近くのスーパーもダメ。仕方ないので、昼すぎ2時間に一本ぐらいのバスで市内に出て、ホテル・ノルゲで食事をしたという。だから1日一食です。あと給油所が空いているのでそこでスナックを買い込んで、持参のウイスキーで4日過ごした。渡した食べ物もうちジャムには手をつけず、腹が減っても食いたくないものは食わない御仁である。 ●男子厨房に入らずこの時ほどまいった経験はない、と回顧される。ならば拙子に電話すれば良いのに、昔かたぎなんですね。何しろ食事は一度も作ったことがなく、男子は台所にタッチしない、という御仁だったから。滞在一年でズボンがスコスコになるほど痩せられた。 我が家の離れに2週間ほどおられた時は、大学食堂でいつでも食べられるので困りはしなかったが、夜、離れの山小屋で晩酌されるとき、缶詰のアンチョビを、それだけで酒の肴に上等なんですが、これを水洗いして醤油をかけ、刺身としてつまんでおられた。山小屋には小さいながらなんでも揃った台所があるが、朝食にトーストを作るくらいで、ここまで堂々と調理しない姿勢を貫かれると、恐れ入るしかない。 家内は下條さんはネ、ほっといたら餓死するよ!と心配して、我が家の玄関ドアに『夕食の残り物がありますから、寄ってください』と2日に空けず貼り紙をしておいた。山小屋へは我が家の玄関前を通るので見過ごすことはない。 こいう時、先生は堂々と立ち寄りしてゴハンを美味しいと食べていかれた。実に魅力的な好人物である。 帰国後にたちまち太る翌年だったか、芦屋の下條宅に伺った時、見違えるようにまん丸と太り、メガネが頬に食い込んでいました。ニコニコ顔が一段と良く似合い、俳句とか、詩の方はいかがですかと問えば、「そんなもんあるかい、毎夕帰りに飲み屋に行って詩心が湧くもんですか」と生き生きしておられた。 他にも互いに夫妻一緒でクルーズしたことなど短い付き合いでしたがが、濃い思い出がある。 なお、弟子筋教授が書かれた弔文と学術業績については、次のサイトをご覧ください。www.ymf.or.jp/wp-content/uploads/58_12.pdf |
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