安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
日本人的情報伝達(2)
------------------------------------------
( 2016年 4月 18日
曜日)


● 下条哲司教授がベルゲンで詠んだ俳句

     雪に想う 昨日日本の 桜かな

これ、当地にいると本当にそうなのです。こちらでは雪や霰がまだ終わらないのに、日本の桜便りがネット新聞を賑わす。ああ、拙子も友と夜桜で花見酒をやりたいなァ……としみじみ想うのである。

この句について下条先生曰く:
▲ことさらに季節を強調するならば、二つの互いに矛盾する季語を使わねばならない。季語はただ一つという格式はここでは無視されねばならないのである。

     雪が舞う 昨日日本の 桜かな
下条先生曰く:
▲ノルウェーにいて日本を想い、あるいは日本の季節と比較する余りこうした形の句になってしまう。外国でのわびしい生活がこうした形で表現できるとすれば、これも俳句の一つの行き方ではないであろうか。

     あやめもなき 池にそぼ降る 氷雨かな

下条先生曰く:
▲本来ならあやめも咲いていそうな季節なのに、まだこちらでは氷雨が冷たく降り続いている。しかしノルウェーにも春は来る。氷雨そのものが雪に代わって春そのものを伝える季語であるはずなのだ。
外国人にも季節を離れて、しかも自然の美しさを雄弁に語る詩として、わずか17シラブルの世界で一番短い詩として、もっとひろい感覚を守りたいものである。

    春雨の 冷たき枯れ野 ひとり行く
ノルウェーの春はまだ冷たい。

●詩心を呼び覚ました外国独り暮らし
上記は下条先生がベルゲンの経済大学に客員研究員として約一年間、昭和52年4月から当地に滞在された。この随筆は氏ベルゲンに来てまだ数週間の頃に書かれた随筆「季語に思う」から、その本論を割愛して、句だけを取り上げました。

帰国前の10日ほど、我が家の「離れ」に住んでいたので、夕方よくお邪魔して駄弁ったものです。その頃は俳句でなくて詩を書かれていた。離れと呼んで入るが、我が家から100m近く山に入ったフィヨルドを見下ろす丘にある山小屋である。大きな窓の正面にベルゲンのフィヨルドを眺めて、やはりちょっとセンチな詩、北原白秋とサトウ ハチローをミックスしたような詩作に興じておられた。生意気ざかりの拙子にはいささか面映ゆく、しっくりこなかった。

しかし話題の豊富なことは、天下一品、下条先生と肩を並べるの「物知り」かつ「智慧者」は我が全生涯での知己に3人といない。拙子が友だち付き合いながら先生と呼ぶはこの3人だけである。






Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る