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お水取り
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( 2016年 3月 19日 土曜日)
「結願・けちがん」、お水取りが終わりました。とたんに佐保川堤の河津桜がピンクに満開、奈良はいいところですね。
●修二会「結願」 行法は12日「達陀の行法」でクライマックスに、「お水取りに行く」と言えばこの大松明の日のことである。真夜中に大松明を数人が抱えて、北側の登楼80段を駆け上がり、堂の欄干をゴロゴロ転がして振り回す。猛烈な火の粉が、下の見物客に落ちてくる。鎌倉期に一度松明で二月堂が全焼した。振り方をまちがえたり、松明を落としたら大変だ。床下の高い木組み(懸造・かけづくり)がたちまち燃えるのは日を見るよりあきらか。 小生がよく見に行った昭和30年中頃までは、立ち入り禁止の柵などなかった。松明の時間ギリギリに行っても、二月堂のまんまえに立てました。火の粉を受けるため、堂下斜面の草地に頭巾や帽子をかぶって立つ人が必ずいたものです。小さな消防車が一台、開山堂のまえで待機してはいました。 ●華厳の東大寺に「呪咒」と「身体行法」 実忠和尚は、大仏開眼の後、良弁(ろうべん)僧正の右腕に選ばれて二月堂を含む東大寺伽藍の建立に腕をふるった。実務能力は凄かったが、経典を学問するタイプでなく、当時の雑蜜を色濃く体現していた僧だった。で、実忠和尚がこの行法を個人的に、自分が立てた二月堂で初め、弟子僧たちが加わった。 ●頑なな伝統行事の意義 しかし、1300年もやっていると、「青衣の女人」の他にもヘンなことが起こります。戦下も休まなかった。修二会の最中に練行僧3人と童子4人に赤紙(召集令状)が来た際は一人二役で切り抜けたとか、配給米では足りない上に決まった精進料理の材料が手に入らなかったとか。それでサツマイモをふかして出したら、怒られた、など堀池春峰氏の著書に色々な戦時中のエピソードがあります。 ●籠りの僧か氷の僧か、芭蕉の句 ↑二月堂南側、三月堂へ抜ける門を入ってすぐ左に芭蕉の句碑に、「水取りや籠りの僧能沓乃音」と彫られている 「氷の僧」なんてのはいやだね、拙子は「籠りの僧」と教科書で習った。 芭蕉直筆の「野ざらし紀行」では「こほりの僧」と書かれているからといって、近代、現代の俳人たちが、「凍る」が冬の厳しさ、修行の厳しさ、季節感があり、寒さに凍らんばかりの僧を表している、などととぼけたことを言う。学者や俳人の説に従って、今の出版社が軒並み書き換えるとは情けない。言語道断、お水取りには籠りの僧と1300年来決まっとる。弘法太子ですら、松尾芭蕉に筆のあやまりはある。 |
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