安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


-------- ----------------------------------
奈良零れ百話・猿沢池の亀
------------------------------------------
( 2016年 3月 2日
水曜日)


●観光案内人の口上
接子が子供の頃にはまだ健在だった名所案内のおじさん、ゲートルを巻いて鳶足袋(とびたび)を履いたおじさんもいた、が団体を案内して「澄まず 濁らず 出ず 入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚が七分に 水三分」とよどみなく猿沢池の形容を述べていました。今では「猿沢池の七不思議」としてカラープレートに記され石にはめ込まれて池の南畔に設置されているので、昔の惹句が蘇ったと言え、もちろん本当の話ではない。

猿沢池は興福寺建立の一環として天平時代に造成されたため池であり、「澄まず 濁らず 出ず 入らず」に近い状態であっただろう。しかし当たり前だが、大雨でも溢れないように菩提川に出る放水口は古くからあった。

●猿沢池の池ざらえ
緑がかった濁った水のため、東京オリンピックの翌1965年に「池ざらえ」が行われ、掻きげた泥を毎日々々ダンプがどこかへ運んで行った。池底を乾かすため数ヶ月も空っぽの猿沢池は、この時が最後だったと思う。鯉や捕まえたイシガメとクサガメどもは、公園内の泉水に移されたが、数匹見つかったスッポンは駆除された。またナマズやウナギが泥の中に潜んでいたという。

●亀の効用
亀は何でも食べる。鯉が食べきらない餌、パンくずや鯉餌として売っている長い麩の残りを平らげ、死んだ鯉を食べ、いわば池の清掃に役立ってきた。猿沢池の池ざらえが絶えて久しいのは、バイオ技術で濁らないようにしているのだろうか。

Macintosh HD:Users:yngvekristoffersen:Desktop:猿沢池の亀.png

 ↑ 写真はトリップアドバイザーのサイトより

鯉や亀が集まる西北隅の池中に「さるさは池」と変体仮名で刻まれた石標がある裏に地蔵さんが二つあるが、目立つのは甲羅干しする亀の上に子亀の姿。甲羅干し用の丸太が、二箇所に設置されいつも亀さんたちで満席だが、これは亀の数が増えたのではなく、池の周囲の石組みが修理されて緻密になったせいで、以前のように石組みの間で亀さんたちが休めなくなってしまった。

●亀の住処・粗い石組みが詰められた
若かった小生が夜通し絵を描いていていた時期、早朝まだ寝静まった興福寺を抜けて猿沢池へ寝る前の散歩によくでかけたものである。夏の樹木や草の強い匂いが漂い、疲れが休まり、気分が癒える。

猿沢池に来ると池周りの石組みの間で眠っている亀がいるわいるわ、腹ばいになってそっと手を伸ばし、掴みだす。抑えつけてはすごい力で逃げられる。甲羅の下に手を入れてさっと引き上げると、簡単に捕まえることができるのはコツ。そしてポチャンと捕まえた亀を水に落とすと、辺りの石間に眠っていた亀どもが一斉にバシャバシャ池面に飛び込むのです。そんな何度もワルサしたわけではありませんが、浮かべた丸太の上で休むより、石組みの間が自然ではないか。その石組みの隙間が、漆喰だかセメントで目詰めされてしまった。今の猿沢池の亀は一体どこで卵を生むのだろう。






Pnorama Box制作委員会


HOMEへ戻る