安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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私事、入院事情
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( 2016年 2月 20日 土曜日)


●5日間の入院
王朝時時代から、明治に至るまで、ゴホンゴホンと咳が止まらない肺の病気は全て「労咳」と呼んで多くは死に至りました。現代医学の進歩は放物線のように進歩を遂げ、1900年頃までは70歳以上の重病人に対して大きな外科手術はできなかったが、今や90歳の人でも心臓や肺の病巣摘出手術が可能になった。病院のビュフェで前に座った老体は82歳、心臓癌摘出をしてもう4週間に成るという、見せてくれた胸元は喉からみぞおちまで一直線に縫われていた。胸を全開したのですな。フランケンシュタインみたいになって・・。いくつも管を車付きの洋服掛けのようなカゴ付き棒を杖のように持ち歩いている老人ばかりの病棟ですな。拙子この5日肺の生検(Biopsy)のため入院しておりましたが、これしきの外科手術は外科医にとっては気楽な手仕事なのでしょう。手術した日から4日目の昨日に退院しました。話せば長く昨年の春にさかのぼる。病院の各科をたらい回しのように検査され、本人も聞く方も面白くない。でもまあ、今回はきちんとコラムを書く気分までは至らず、当地病院での入院事情で悪しからず。

●肺洗浄で気分は一時すっきりしたが、原因はわからず
昨年10月、肺洗浄を受けブラッシングや吸い出した肺液を検査、培養した結果はウイルスもバクテリアもなかった。ガン性でも結核性でもないことは確実だが、原因不明、おそらく免疫抗体の活動が原因だろうという内因性を指摘された。拙子には何のことかテンでわかりましぇーん。こいうことは随時担当医から病状の説明や、小生の治療方法に関する関係医師たちの話し合いの結果を携帯電話で知らせてくれるのが良い。もっとも主責の医師である教授は講義のために病院休みが多く、昨年は名古屋の学会に行ったというこの先生にはなかなか会えない。いつも違った代行の肺の先生からSMS及び手紙で召喚の連絡が来る。

●外科的生検に入院
拙子の手術そのものはレントゲンやCTスキャンした肺画像を元に、右肺の脇の下あたりに3箇所から管を入れ、一つに内視鏡、二つにミニアームを差し込んで画面を見ながら遠隔操作し、病変部とおぼしき細胞組織を採取する。もともとは肋骨の間に鉗子管を差し入れて組織を摘まみ出す入院しない生検であったが、CT画像の解析者がはっきりしない映像に、ここだと確実なところが読み出せず、外科的生検をすべしとの意見で手術になったそうだ。さて、外科手術は二人の男女の外科医、若い女医さんがアシスト、他に何人かの手術室看護師さんが当たったはずだが全身麻酔なので何も知らず。手術室に入って2時間後には術後監視の病室で目が覚めた。

●3検体の一つに炎症
採取した三検体のうち、二つはノーマル、一つに炎症している組織があったと、術後直ちに家内に電話で知らせがあり、目を覚ました小生が家内に「手術が終わったよ」と電話したらすでに家内は手術の結果を知っていたのでした。一つに炎症があったとは、これ幸いでした。でなかったらまたまた原因不明で有効な治療が遅れるところですからね。そのために術後直ちに炎症を抑える強い飲み薬を使うことになった。副作用を抑える2種類の錠剤、鎮痛剤も使うのですがこれが効きましたね。息切れがしなくなった。で、栄養剤とモルヒネの注入は1両日だけで、あとは鎮痛剤で済ませた。咳止めと気管を広げるアスマ用のモイスト吸引など役に立ちませんな。咳の出方に質的変化があるけれども、出るときは胸の傷跡が痛くてビビリます。睡眠導入剤を拒否したのであ々夜は長かった。

●お世話になった多様な医療従事の方々
大学病院の世界は、人間的にはもちろん平等で話し方にさしたる上下もないが、服装でこの人は院内の下働き、掃除する人、ベッドを押していく介護人、看護見習い、正規の看護婦など微妙に制服が異なり、医師、外科医は白でなく色が違う。これは欧州どこでもそういう服装の違いがある。

みなさん必ず自己紹介と握手で患者と初対面するのだが、看護士は1日3交代で、5日の入院中同じ看護士が拙子の担当になったのはごくわずか、とても名前なんぞお覚えられませんが、みなさん笑顔で親切だ。毎朝、パンツ、パジャマ、大判タオルを替え、食事もビュフェに行くのが面倒なら運んでくれる。一度ベッドのZランプが球のところでグラグラするので、看護師さんにレンチがスパナで締めてもらえないかと頼んだら、そんなの詰所にないわ、と言いながら指でギュっと指でつまんで、グラグラを締めてしまった。もちろん拙子も先に自分でやってみたがダメだったのに、ノルウエー女性は指の力も強かった。

特に拙子の手術に当たった若い女医さんが多忙の中できるだけ病室に様子伺いに来てくれ、カテーテルに出る血液の様子を見ながら、そろそろ外してもよさそうね、今日にも退院できるでしょう。

そこで小生思わず拍手、彼女も喜んで拍手して息が通う。カテーテルをつけた脇の下の管を呼吸のタイミングに合わせて軽やかに抜き出し、パチンと二つスティッチ、大きな絆創膏を貼って、今日からシャワーしてもいいよとニッコリ。スティッチは10日後にあなたの家庭医に抜いてもらってください。ということだった。そしてもう一度レントゲンを撮るよう手配し、映像結果を見て最終判断を知らせに来るとのことだったが、執刀が続いて来られず、看護師が連絡を受けて知らせに来た。レントゲン良好で退院OK、薬の処方箋を薬局に連絡しておくが、明日の分だけ今用意するから持っていつでもお帰りくださいとの指示だった由。

このシステムは全国どこの薬局でも個人番号と身分証明書で受け取れる。北欧の薬局が国の専売許可制度であるからできることである。

息子夫婦が我が家へ娘を連れて夕食に来る途中、5時ごろ見舞いに来るということなのちょうどよかった。同僚病人に和気藹々と挨拶して家路に、Back to my old sweet home!

上写真は「ハウケランド総合病院」の全景、右下の古い建物は1912年創立以来の建物で、まだ下方に婦人科の建物があり、ここで誕生した日系の子供たちは指折り数えて20人は下らないだろう。1〜2年の研究員でも奥様の出産は無料でしかも報奨金が支給される。病院はベルゲン市に接する610mの山裾にあり、1万2千人が働く大世帯である。ベルゲン大学とベルゲン医療(Helse Bergen)組織に所属し、大学医学部が中に併設されている。歯科・歯学部と小生が軽い脳梗塞で倒れた時に入院した成人病の建物はまた別の近くにある。

写真無し:2日目、モニタリング病室から個室に移される。いろいろな器具、背が倒れる電動の革張り椅子は二人部屋や4人部屋にも各自にある。テレビと応接の椅子テーブルがあり、広いシャワー/トイレ室が完備。食事は朝8時から、昼、ディナーの時間が2時間帯であり、夜食というかサパーが夜の9時まである。複数部屋でも仕切りがあるので、ベッドランプに消灯時間はない。入院と手術治療食事や軽食飲み物などこの国では一切無料。日帰り診療には、わずかな自己負担をカードで払うが、一旦入院するとこの国で税金を納めている住民登録者なら日本国籍の拙子も無料である。年金からも税引きされている妙味であろうか。

長く積読だった拙子にはちょいと歯ごたえの過ぎる本をこの機会に読みきりました。入院時に起こる人間の活動は、消化器官の病気でなければ、食べることが最大の関心事でつい大食いしてしまう浅ましさ、長所は読書に集中できること、昧読の深みに入ることができるのは嬉しい。






Pnorama Box制作委員会


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