安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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本堂でプロレスごっこ
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( 2016年 2月 7日 日曜日)


●本堂は畳敷き
それがしが中学生の頃のことであるから昭和30年ごろ、力道山が全盛の頃であった。クラスにお寺さんの子が二人、同学年なら同じ中学校に5人以上はいただろう。奈良市の学校とはそういうところである。

●相撲とプロレス遊び
昼休みに相撲でよく遊んだが、番付があり、横綱のS君は市内中心部の檀家寺の息子で、剣道で鍛えていて、プロレスも強かったが、プロレスごっこをする場所がない。柔道部の道場はもちろんタタミだが、そんなところでプロレスごっこなどできません。幸いプロレスごっこも強いS君の家はお寺だから、本堂でドタンバタンとやるのですな。父親の住職さんには内緒だったのだろう、庫裡から少し離れているので音も聞こえないないだろうし、法会か講話でもいない限り、本堂には誰も入ってこない。

●手加減を心得ていた少年
その頃の中学生は体力遊びに、現今の小中学生のように暴力てきではない。手加減を心得ていて、プロレスごっこでも決して無茶をしなかった。それがしは体が小さくて小心者だから、我が家で兄と真似事はやっても、実際に横綱S君の寺の本堂でドタンバタンとやった経験はないが、聞いたところによると、下着が汗と、本堂タタミの埃で真っ黒になったそうです。

電気掃除機がまだ普及していない頃、本堂の掃除といえば「ハタキ」と「座敷ほうき」である。本尊のお身拭いは年末大掃除の時だけだろう。だから制服を脱いでシャツとパンツ姿になり、ドタンでホコリをあげ、寝技で下着が雑巾代わりになるのだからそりゃ汚れます。そんなことで、本堂でのプロレスごっこは2度で終わったらしい。元気だった彼らもすでに亡くなった者あり、みな病気持ちになりました。今はむかし、相撲とプロレスごっこの思い出である。






Pnorama Box制作委員会


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