-------- ----------------------------------
奈良零れ百話・快慶の僧形八幡坐像
------------------------------------------
( 2016年 1月 29日 金曜日)
先々回、「忍辱山 円成寺」で運慶若き日の大日如来像について書いた。ならば若き快慶の作品について述べなければ片手落ち。本日は快慶の絶品についてです。
●八幡さまの遍歴 オリジンから見れば、八幡神は皇祖神になるわけだが、源氏と平氏が氏神として祀りはじめ武家の守護神になり発展した。岩清水八幡宮や鶴岡八幡宮はその代表格である。一方、明治の神仏分離令までは、寺の守護神として神宮寺のあった時代が長く続いたため、本地仏、僧形八幡神などが祀られていた。前置きはこれくらいにして本旨に入る。 ●東大寺の僧形八幡坐像 で、造東大寺大勧進の役を担った俊乗房重源上人により東大寺が見事に再建されたのであるが、このとき重源上人は神体の新造には何を手本にすれば良いか。ちょうどその頃、京都で発見された空海の姿とつたわる僧形八幡神の画像を後鳥羽上皇に下賜(かし)を願い出たが、他の寺社と競合している状態でムリ。それで信頼する仏師快慶に空海の御影を「模刻せよ」と造らせた。それが1201年に完成した。1203年に快慶は南大門の阿吽仁王像を運慶とともに彫刻しているので、若き快慶と呼べない少壮気鋭の頃か、生年が未詳の人なので老若適宜に使い分けしております。
毎年10月5日の「転害会」の日にだけ一般開扉されます。その時は簾ごしに見るのですが、この写真は、東京での展覧に持ち出された時の撮影か。これは明治の神仏分離令に寄って、手向山を切り離したので、東大寺大仏殿西の西に勧進所八幡殿に安置されている。国宝を安置するには無防備で小さな変哲もないお堂なので、中にこんな秘仏があると知って立ち寄る人はいない。惜しい。 ●剃髪の美男子 にもかかわらず、快慶にあやかった空海の像が各地にあるから不思議である。 しかし空海をモデルにしたというこの八幡像はオトコマエである。鎌倉、江戸の女性なら「振るいつきたくなるイイ男、水もしたたるイイ男」ではなかろうか。蓮弁の台座に座しておられるので、おいそれと頭を撫でるわけにもいかないが、他人事のような顔つきの仏に比べて、実に生き生きとしている。それにしても秘仏として門外不出、年に一度の開扉を800年続ければ、金も落ちず、斯様にあざやかな彩色も残るわけだ。 また一本作りの木彫仏に見られる干割れがない。というのも丁寧に像内部をくり抜いた上で(内刳り)、内部を漆塗りにして虫が食わないようにしているという。一度じっくり見たいものだが、拙子には生涯チャンスはないだろう。 |
|