安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・忍辱山円成寺
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( 2016年 1月 21日
曜日)


●柳生街道の途上、静寂の眞言寺

奈良からバスで30分、人気のない森の中にある。いつ頃建てられたのか、天平時代に遡るらしいが、鎌倉期に興隆したのだけれど、焼けて大半が消失。応仁の乱の頃、山城国鹿ケ谷(ししがたに)の円成寺をここに移した、と古社寺辞典に記されている。

拙子が十数年前の秋に訪れたときは、深山幽遠の趣あり、広い庭園に真っ赤な紅葉が別世界のように美しかった。池にひらひら紅葉の葉が落ちる音が聞こえるような静けさ。参観客はちらほらだった。

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写真 苑池の庭は楼門の前、無料の参道沿いにあるのも珍しい。

このときまで、この山寺を「にんにくせんえんじょうじ」と読むなど知らず、「えんせいじ」と口にして憚らなかったのだから寺の謂れなど知る由も無い。

●春日大明神を祀る神社をなぜ「堂」と呼ぶ

本堂は鹿ケ谷のものを移した神殿造阿弥陀堂だが、二つ並んだ国宝のお社は鎌倉時代の檜皮き・春日造りの社殿である。春日社造営の際に旧社殿をここに移し、鎌倉時代に焼け残った社殿を解体修理されているが、名称は春日堂、白山堂とお寺風に呼ばれる。この修理は現地で行われたが、もう一つ宇賀神社本殿の解体修理については、地元に宿もなく宮大工がバスの通じていない大正時代に通えるはずもない。どうするか……

●トラックに積んで奈良に運ぶ

小さいのでそのままトラックに載せて、奈良国立博物館の修理室に運ぶことにした。これが大変うまく進んで、修理費用も節約でき窮余の策が思いの外成功したのである。現在は細かい修繕を現場で済ませているようです。

●若き運慶が彫った本尊

新しく造り直されたた朱塗りの多宝塔に、20頃の運慶がお父さんの康慶の手ほどきで彫った木彫・大日如来が有名である。運慶の名がつくと絶対に有名になる。宝冠を戴き智拳印を結ぶ若々しい如来であるが、まだ平安風を残した丸みのある躰つきに腰が細くしまっているので初々しい感じがして、いいものです。

元来は本堂に置かれていたが、せっかく新造した多宝塔に祀る仏さんに、本堂にあったこの大日如来を移した。ま、こちらの方が仏像の環境には良いだろう。

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寄木造り、漆箔仕上げ。台座と光背を除いた坐像、高さ99 cm

(平成25年、神奈川県立金沢文庫で展示されたカタログより)







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