安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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家井戸をゴミ捨てに使った人
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( 2016年 1月 10日 日曜日)


●各家庭で井戸が使われていた頃
奈良の人口が4万そこそこだった大正11年(1922)に奈良市では上水道工事が完成し、市内に給水が始まった。そして市内全域に給水されるようになった昭和初期でも井戸は各家庭の生活用水として使われていた。

戦後の昭和中頃、人口が10万人に達すると、井戸の水質が急激に悪くなったように思う。家内工場の堀穴排水が地下に染み込み、地下水を汚染したためと想像している。

●使われなくなった我が家の井戸
大正期に建てられた我が家の裏地が戦後まだ畑だった頃、鶴瓶(つるべの)ついた井戸がったのを覚えている。すでに汲み出すことはなかったが、スイカを冷やすくらいには利用していたようだ。井戸の中にカエルを見たこと、石組みの間にトカゲがいたことはよく覚えている。

そのうち、井戸の中に長男が小さいころ使っていた毀れた三輪車(彼は戦前育ちなので玩具類を与えられていた)を見て惜しがったものである。漸次、粗大ごみが放り込まれるようになり、油が浮く井戸になっていた。

誰の仕業かというと、もちろん拙子の母である。この人は前にも書いたが神罰の祟りがあるという宗教観が全くない人ですから、井戸を埋める前にお祓いなどしません。むやみやたらとゴミ収集に出せないものをポコポコ放り込んでいたのである。鶴瓶や井戸囲い、井戸屋根もとっくに井戸の中、最後は土を入れて平になっていた。拙子の小学上級生の頃である。

●家庭内の事を互いに相談しない夫婦
父は気付いた時には遅く、小言を聴く妻でなし諦めたのでしょうか。この件で夫婦の揉め事があったのかどうか、覚えていない。父の方も趣味である家のコマゴマした改築に、常時大工さんが来ていたが、例えば庭を作り直したり、屋根裏をあげて凝った和室を作ったり、欄間を作ったり、そういうことの一切は、母や5人の子供と相談せず、すべて一存で楽しむ明治の実にわがままな家長であった。

●失われた市内の井戸
近所の井戸なども家の増改築時にするお祓いと一緒に井戸を埋め立てているので、母の方が賢明に廃物利用したとのではなかったか。それがしも、やはり神仏の祟りが頭にないので、ただ不要物を利用処理した母に賛成である。

現在は家も裏も印刷工場になっていて、昔この下に井戸があったなどと社員の誰も知らないだろう。家井戸の時代は遠くなった。






Pnorama Box制作委員会


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