安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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地蔵をくつぬぎ石にした人
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( 2015年 12月 28日
曜日)


その人は接子の30年前に亡くなった母である。

●お地蔵さんの背は平べったい
奈良というところは掘れば古いものが出てくる土地柄である。我が家の裏から小さいお地蔵さんが出てきた。拙子の幼児のことで覚えていないが、母は「これは縁側のくつぬぎにちょうど良い」と地蔵を横にひっくり返して縁側から庭に出る「沓脱ぎ石」にしたのである。お地蔵さんの背は正面と違って凹凸がなく平で確かに沓脱ぎに使える。

しかしこれはいつかの昔に我が子の死を悼んで地蔵を作らせた両親を冒涜するものであろう。と、これが常識だ。父はこの石が地蔵そのものであるのを漸く知って、不敬罪だといたく怒り叱りつけた。もちろん母には馬耳東風・カエルのつらになんとかで、一向に応えていない。

この地蔵を父は祠を作って安置し、裏の一角に置いたのだが、この地蔵さんはよく覚えている。七夕の日には近所の子供も集まってこの祠の前で遊んだものでした。お盆と関係があるのか、祠の小さな自蔵にお供え物をし、ろうそくを灯して新しく赤いよだれかけがつけられていた。

母は神も仏も信じない宗教的には独特の個性を持った人だが、催し物や遊び娯楽が大好きで、そのためにだけ祠を利用していたようだ。母の信心を簡単に言えば、人類が産み出した宗教を全て廃し、したがって偶像も認めないから仏も御神体もモノに過ぎない。ヤオロズの神に感謝する人だった。洗濯物がよく乾くと「お天道様ありがとう」とつぶやき、久しぶりの雨には草木が生き生きして「雨々ありがとう」なのである。清水に感謝し、柿が実ると柿の木ご苦労さん。モモができるとモモの木ご苦労さんなのであった。

その後、くだんの地蔵祠は、四六時中、ちょこちょこと家の改装が趣味であった父が、改築に邪魔になったと地蔵さんを撤去したのだから、父の信心もいい加減なものだ。

母にまつわるピソードは、他所から仄聞した事柄を含めて実に多く、そのどれもが愉快で突拍子もなく、いかにも母らしい。しかし拙子の母であり、コラムにするのは憚られるが一つ二つならいいだろう、そのうち書いてみよう。







Pnorama Box制作委員会


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