●大坂冬の陣
負け戦の決まった豊臣秀頼の側について、大坂冬の陣戦で奮戦真田幸村と毛利勝永が奮戦しています。実際に真田幸村は家康本陣を襲い、徳川方が総崩れしたと大阪方の史実になっている。そのとき家康が切腹仕掛けた、なんて資料も複数あるほどです。
●奈良の伝説では
一旦は崩れた徳川方ですが、藤堂高虎などが追撃して豊臣軍は大阪城に撤収、籠城となるわけですが、奈良の伝説では、真田幸村の奇襲を受けた家康が、難を逃れて奈良に避難した。そういう伝説がありました。きっと近在の和歌山県や三重県にも似たような伝説があるかと思うのですが、奈良の伝説はなかなか詳しい。
●春日神社に逃れた家康
家康は最初漢国神社(かんごう神社)の前の桶屋に身を隠し、つまり桶の中に入って追っ手をはぐらかし、さらに春日神社に逃れた。幸村は一殿・二殿・三殿と社殿に槍で突いて回ったが、
比売大神(ひめ大神)を祀る四殿は遠慮した。それで四殿に身を潜めた家康は難を逃れることができた。とまあ、こんなお話です。
春日神社は昭和21年に春日大社と改称された。本殿は春日造りが四棟並んでおり、本殿前の中門から拝観するには特別拝観を申し込む必要がある。ですが、見て特に感動するほどのものではありません。
本殿四棟は左から一殿、二殿の順に並んでいて、一殿には武甕槌命(タケミカヅチノカミ)、二殿には経津主命(フツヌシノカミ)、第三殿に天児屋根命(アメノコヤネノミコト、第四殿に比売神(ヒメガミ)が祀られている。
春日造りの本殿四棟、伝説によると家康が隠れたのは右端の第四殿。
●伝説の出所
これが突き止められればもはや伝説とか伝承の類ではなくなり、出所が詳らかではないがミソなのです。ただし、春日大社の第四殿の「比売神」は天児屋根命の妻である天美津玉照比売命(アメノミツタテルヒメ)のことですから、ここだけに幸村が槍を思いとどまる理由はない。
だが一般には天照大神(アマテラスオオカミ)を指して比売神というところから、槍を入れるのは恐れ多くてできない、という常識が作り出した伝説ではないかと思う。
春日神社が宣伝のために拵えた逸話では決してないので、この伝説は春日大社のどの文献にも、もちろん観光案内にも書かれてないのは当然のこと。