安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話/花乃井
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( 2015年 12月 7日 月曜日)


●花乃井(はなのい)
世に『花乃井』と呼ばれるものは無数にあって、風呂屋から、温泉、旅館の名前に使われている。そんなものは零れ話にならない。奈良時代から南都の大寺に存在した井泉水『花乃井』について述べる。

仏に供える花を栽培する「花園」が、大寺院には欠かせない。 大きな花園は境内の目立たない端ッコや、境内に隣接する外側に設けられていた。なら町に「花園町」があるが、この北に元興寺があり、元興寺の仏花を栽培する花園があったことが町名の由来である。ただはあったはずの「花乃井」は今では皆目わからない。

●興福寺にある二つの「花乃井」
興福寺には、正真正銘の「花乃井」ともう一つ、五重塔の東南にも 残っていて板石を井桁に組んだ井戸の名残と、横に「花乃井」と彫られた 小さな石碑が建っている。ここにはしかし花園があったわけではないので、旅人が自由に喉を潤すためのものかと思われる。この「花乃井」のある丘の東に「大湯屋」の建物があり、この丘に沿って地下に清水の水ミチが通っていたと、これは の想像である。


興福寺五重塔の東南にある「花乃井」、

●花園にあった今も現役の「花乃井」
さて、興福寺のもう一つの「花乃井」は鍋屋町にあって、現在も実際に染色作家が制作につかっているのだから驚く。鍋屋町は興福寺に接していて、一乗院の北に花園が設けられていた。
鍋屋町の西北に明治に建てられたっ黒光りする古風な油屋さん「稲村商店」がある。この家の 長い奥の一角に、「花乃井」がある。花園があって興福寺が維新の廃仏毀釈で花園も潰れ、民家が立ち並ぶようになった。「花乃井」の水ミチに沿って稲村商店や杉田酒店、八木米穀店などが維新後すぐに建ったので、これら老舗さんの井戸は美味しい水が出たという。


鍋屋町、稲村商店の奥にある「花乃井」。もと興福寺の花園で使われたこの井戸が、今も染色ように使われている。写真は染色家・えぼしさんのサイトより。

ところがその後に建った同じ並びの家では水みちが違うのか、布漉して使用していたが、その布が鉄錆で赤くなった。この話は81歳になるなべかつの会長さんから聞いた昔話の一つである。で、向かいの北側通りはロクな井戸がないという。全くその通りで、北側の我が家にも井戸があったが、よくない水だというので思い切りの良い母が、ゴミ捨てに使ってましたな。






Pnorama Box制作委員会


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