●函館、五稜郭
幕末からねい時にかけて、(現.函館)は国際都市であった。ペリーの黒船によって日米和親条約が締結されるや、ペリーの黒船は開港された箱館に入ってきた。そのあとはロシアのプチャーチンが、フランス、イギリスがあとに続いて北海道のこの港町・箱館が函館となり、外人居住区ができたり、ロシア教会が建てられ、日本のロシア語学習はここ函館で始まった。
五稜郭の模型・五稜郭タワーに展示されているジオラマの一つ
●土方歳三
同時に幕府は箱館奉行を置き、星型の要塞「五稜郭」を建設して海外列強から蝦夷の防衛に当たらせた。
のであるが、西郷さんの戊辰戦争後も江戸に残った幕府勢力は榎本武揚の艦隊が五稜郭を占拠、明治政府は反逆者を追討(箱館戦争1869)すると、榎本武揚は降伏。脱走兵を率いて港の街道で防戦していた元新選組の土方歳三は、これを知って五稜郭を奪回せんと一人馬上剣で果敢に向かって行くも銃撃によって戦死した。
ときに土方歳三34歳、死に場所を求めてのことか、本気で馬上駆けつけたのか知りませんが、こういう生き方は庶民感情として人気があります。だから、展示ぶりも売店の書籍も、五稜郭のヒーローは土方でありカイゼル髭の榎本は二番手でしかない
拙子には意外だったが、歴史はエピソードによって伝承される部分が大きいと納得した。
タワー展望台に置かれた唯一のブロンズは土方歳三、五稜郭には彼の立像もある。
余談
箱館の米貿易事務官ライスとアメリカ総領事ハリスとが提唱して、幕府に異人たち(船乗りも多買った)専用の揚屋(遊郭)を設置させた。つまり慰安婦の原型はここにもあったのです。
「北海道坂元龍馬記念館」という龍馬の資料館がなぜか函館市にある。
龍馬は北海道に来たことはないが、なんでも明治になって職を失った武士達の救済に蝦夷地の開発を立案していたこと。龍馬の養子であった人物の一族が龍馬の遺志を継いで北海道の開拓に携わり、一族が貢献したという。夕方に着いて朝早く立った函館は知らないことが一杯あるところでした。