安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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帰省中-6正倉院
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( 2015年 11月 22日 日曜日)


●正倉院に到着
奈良女子大学での40分講義の後、聖武天皇陵、隣接す光明皇后陵、多聞城後、転害門を説明を受けながら3時間かけて正倉院までやってきた。ひが見学用の東門から壁伝いに入って正倉院の20mぐらい先でストップ、ここから先は立ち入り禁止である。自由に散策できた時代もあったが、観光客が押し寄せる昨今、仕方ありませんな。

正倉院を間近に見るとずいぶん大きい、異様に黒くツヤがある。白木のヒノキ材が創建以来1250年も経つて自然に真っ黒になったというが、近年の防腐剤の影響だろうか、とにかくどこにも見られない色になっているのに驚く。

●名人芸の木組み
校倉作りは世界各地にあり、拙子の住むノルウェーでは松材を使った中世の頃の農場や村々に高床校倉の食料貯蔵庫があり、ベンガラ塗や白木もあるが、表面は木目の間が凹みザラザラだ。三角材の隙間を粘土で埋めている。翻って、倍も古い正倉院では左右(北倉と南倉)の校倉がビシッと寸分の隙もなく三角材がいげたに組まれ、まさに名人芸、神業である。

正倉院は2.7mの高床、その上に左右の校倉と板倉の中倉が2階と屋根裏の高さが14mある。全体の横幅が33mというから、正面から見た建物の姿は圧倒的なヴォリュームがある。長く雨漏りが問題だった本瓦の大屋根は修復され、歪みが全くない。現代の棟梁もまた名人である。

●奇跡というしかない
正倉院と呼ぶ宝物庫は法隆寺、興福寺、西大寺にもあったが、聖武天皇の遺品始め、最高の宝物を収めた東大寺の正倉院だけが残ったことは奇跡中の奇跡である。大仏殿は2回の政争で焼け落ち、北側裏の僧坊なども焼けたというのに、その先にあった正倉院だけがいつも戦火と落雷を受けずに残った。かけがいのないコレクション、貴重な歴史的文化遺産が今も存在する事実は、幸運というより、奇跡であり、拙子は神仏の御加護と感謝している。そして現在は鉄筋コンクリ、温度、湿度調整完備の倉にすべての宝物が収められ、正倉院そのものはカラッポ。

●講義のしおりより
数ページの講義ペーパーからごく少しを転載する。
◇正倉院宝物に発掘品はく、「伝世品」。多くは由緒来歴が明確で世界的に類例のない第1級の宝物群である。
◇正倉院宝物のすべてが文化財保護法の適用外。宮内庁により手厚く保管されているので国宝や重文の指定の必要がない。
◇床の外回りにへの字形の板を巡らす「ネズミ返し」はありません。床を支えるすべすべの丸木40本にネズミは上れない。






Pnorama Box制作委員会


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