コラムが2週間も中断、こんなこと初めてですが、出ずっぱりだったものですから落ち着いてコラムを書く境遇と心境になりません。旅行中は本来ズボラな性格が出てしまいます。本日はまず桂離宮から。
●桂離宮
ここは宮内庁の管理ですから、参観は申し込み制ですが無料。例によって妹の運転で兄夫妻と拙子の四人で奈良から行きました。お昼、桂離宮に一番近い由緒ありそうな土産物や兼食堂で、ニュウメンで昼ごしらえ、畳席の邪魔にならないよう、奥に椅子席もあった。久しぶりのニュウメン美味いものですね、量もたっぷりある。
参観申込書の返信(許可)を持って15分前に入口に集まる。名前を照合する入口係りの人、案内のガイド氏は、省庁の国家公務員でなく、現地採用の職員と思うのですが、接する態度は慇懃ながらも、民間ガイドに比べれば高飛車な感じを受けます。
しかし参観者は数人のフランス人観光客を除き、皆さんそろって高齢者、若い人なんていませんでした。そういう風にグループを選んだのかもしれませんが、妻と娘に手を取られてよちよち歩くご老体もいて、この人だけは、橋を渡り切った2番目の茶屋でアウト、近道を通って引き返されました。
●華美・豪奢な公家の生活
桂離宮のなんたるかは、その方面の書物やネットを見ればわかるので飛ばします。ただ、甚だ感心したことが二つあって、江戸時代のお公家さん、皇室につらなる宮家はたいそう優雅な生活をしていた。一年にせいぜい一二度だけ京都の本邸からおこしになるのであろうか、輿に乗って丸一日かけてくるのである。八条の宮何代かにわたって半世紀を費やした。八条の宮はこの桂村の一帯を知行地に持っていて、その知行米で、池を穿ち、井戸を掘って清水を入れ、4戸ある茶屋をめぐるのだから、庶民の生活など知ったことではなかった。政治の実権を奪われた皇室は斯様な華美で豪奢な生活に生きがいを感じたとしたら、嘆かわしく哀れに思う。
●凝りに凝った庭と茶屋
二つ目は庭園の造りです。江戸時代ともなれば、利休のワビ・サビは吹っ飛んでしまい、もっぱら贅沢に作られ、茶屋ごとに見る庭の景色が物の見事に一変する。実に細かいところまで病的なまで計算された造りで、そういう細かい説明を聞いていると桂離宮は素朴に庭を楽しめるところではありません。「笑意軒」という茶屋では裏の大きな障子を開けると設えた田んぼ一枚が見え、お公家さんは茶室から農作業が間近に見られるようになっている。そして実りの秋をたたえるような歌を読むのかな。憮然とならざるをえない。