安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・横笛の座像
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( 2015年 10月 23日
曜日)


●平家物語「横笛」の章
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす』。とここまではすらすら覚えているが、受験勉強は身につかないものですね。

ところでなら法華寺に「横笛」、平家物語の横笛の項に出てくる悲恋物語、白拍子の横笛と平家北面の武士斎藤時頼のならぬ恋物語であります。こういう色恋モノは受験に出てこないので習ったことも自習したこともなかった。

二人は相思相愛になったのだけれど、時頼のオヤジが「ちゃんと身分のある家に婿に行かせとるから、ツマラヌ女にかまけえるな」といって許さなかった。時頼はシコメと一生なんて真っ平御免、かといって父上の命にそむくわけにもまいらぬと、情けないことをいって出家、入道になったのですが京の寺では横笛への煩悩が解(ほど)けないといって高野山に篭ってしまった。で、恋に身を焦がした横笛も浮世に幻滅して出家するのです。法華寺の尼さんになりました。

横笛が尼になったと聞いて時頼が歌を贈る。
Sorrow had I felt
Til I herad yoru shaved your pate
To became a none.
Glad are we in the same way,
Like two arrowsーーNo return.
横笛の返歌
Once I shaved my head,
There was nothing to regret
In the fleeting world,
For I was unable to grasp
Your heartーーa flown-off arrow.

もちろん英語で歌をやりとりしたのではありませんが、英文の方(東大出版)が意味が良くわかる。原文の歌はそれぞれ:
そるまでは恨みしかどもあづさ弓 まことの道に入るぞうれしき 時頼
そるとても何か恨みむあづさ弓 引きとどむべき心ならねば 横笛

哀れ、もと白拍子の横笛は恋の病に19歳で病死したのでした。一方、高野山に篭った入道時頼もまだ30そこそこというのに痩せこけ顔が黒ずみ、どこにも身長180センチの北面の武士であった面影はなかったという。

●法華寺にある「横笛の像」
能書きが長くなりました。ただ横笛の像を見る機会があれば、最低でも上記は知った上で見てほしい。でないとただのちっちゃな(像高30センチ)ペーパークラフトと、事実ハリボテではありますが、見る者の態度が誠実で真摯でなければなりません。滝口入道との間に交わされた恋文を使って作られたというのだけれど、その辺はあくまで言い伝えである。寺では若い尼さんが心変わりしないように、諌めの文で造られたと、以前はそういう説明であったがいまは言わなくなった。


 「横笛」坐像、法華寺パンフレットより

もとは手に何かを両手に奉じていたのであろう。美しく彩色されたお人形のようであったとおもうが、色がハゲ落ち、俯きかげんのやせ細った剃髪の「横笛」19歳が、せいいっぱい世の不条理に抗議しているようで、胸を打つ佳品である。同情した尼さんが作ったのかでしょうか。

法華寺は光明皇后が問責だった官立の総国分寺尼寺がもとになっているので、広大な敷地を持っていた。縮小されてから、横笛が住んでいたという横笛堂は民家側になっていたのを移設していまは境内にある。が、横笛坐像そのものは、本堂に安置されています。






Pnorama Box制作委員会


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