安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・名僧の肖像-5-2
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( 2015年 10月 11日
日曜日)


前回の続き、無着・世親菩薩像を見分して私感をのべる。

●無着が手に持つ袋包み
無着さんがて胸元に奉じる袋包みを、それがしは、はじめ釈迦の骨壷か?と訝ったが、「仏鉢」という。仏鉢には伝承説話があるのですが、ややこしいので釈迦が食事に使う金属製の鉢と解釈している。ときには回して穀物をもらうこともあっただろう。この仏鉢供養は弥勒下生(げしょう)の供養法会に用いられ、無着さんは本尊弥勒如来のうしろで、ゆかりの仏鉢を胸元に、さも大切に奉じておられる。つり上がった二重まぶたの目は、すべてを見透かしたようでありながら、人を怖がらせない。優れた人格を醸し出して何度見ても飽きない 。


 世親菩薩               無着菩薩

●左目を縦に走るキズ
無着像はカツラの大木を使った一本彫である。カツラは軽く柔らかいので彫刻に適しているが、木目がよく通っているので縦に割れやすいといわれる。無着像の左目を縦に通る細く割れた線が見える。頭から首下まで一直線にはいっている。このヒビ割れに落胆する向きもあるが、そう神経質にしなくともよい。制作以来800年、それがしは緊張が走る天然の勲章とおもっている。

●失われた世親の事物
世親菩薩は同じような包みを手にしていたはずなのだが、長らく紛失したままである。カツラ材の寄せ木造りでどこにもヒビが見られない。
廃仏毀釈の頃、興福寺の諸仏は乱暴にまとめて角に置かれている古写真では両像とも素手である。明治初期の興福寺はもうめちゃくちゃでしたから、写経の多くが燃やされたり古紙として売り払われた。無着さんの持ち物が見つかっただけ幸いとしよう。

世親は宝珠か塔に入った「仏舎利」つまり」釈迦の遺骨・遺灰を手にしていたと考えられている。もうひとつ惜しいのは顔貌がまだらに黒ずんで働き盛りの壮年像が台無しになっていること。それで袈裟の吊り金具や、袈裟の裾を腕にあげ、様式化されていない衣紋ばかりが目立つのである。眉間にしわ寄せ、きっと鋭い眼差し。肩は丸く肘をやや突き出して貫禄の体躯である。けだし、厳しさ保ちながら円満な容貌をうしなわない。運慶もまた人生の円熟期に入って微妙な表現にわが国の仏師として初めて未開の新境地を開いた。この両像を拝してそうおもう。






Pnorama Box制作委員会


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