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奈良零れ百話・名僧の肖像-5
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( 2015年 10月 10日 土曜日)
●無興福寺北円堂 小生はは中学時代の絵の先生、一水会の故森下善文先生が好んで法隆寺の「夢殿雪景色」や興福寺の「北円堂雪景色」を描かれていて、後者を父が 一点所有していた。いま、あの絵が無性に懐かしい。 堂内の仏像群は運慶が総監督なって息子6人の一家総出で本尊弥勒如来と、この無着・世親両像、および四天王を製作、いづれも飛び切りの秀作だったであろう。あろうというのは、四天王が もと大安寺にあった平安時代のものに代わっているからである。ま、現在置かれた四天王は決してわるくないのですが。本尊があまり有名でないのは、小ぶりなことと、おとなしく目立たないせいとおもう。ノミは二人の子息ですが、いい彫刻です。 ●無着・世親菩薩立像 北円堂そのものは小さくて、弥勒如来と脇侍仏の後ろに今回取り上げる、無着・世親菩薩の立像が立っている。等身大より一回り大きく、 四隅を四天王が取り囲んでいる。偶然に拝観できる時節に遭遇し、大勢に混じってぐるっと中央壇を一回りできた。そのとき拝観料と一緒にくれる小さな案内紙の写真が、上の無着像の胸部写真である。 無着と世親の兄弟は長男と次男、修行と学問に打ち込み、興福寺法相宗の開祖といわれる。釈迦没後千年を経た西暦300年代のバラモン階級の出身インド・ガンダーラの人である。 ということはインド人というより、現在のパキスタン、アフガニスタン人にあたるが、顔つきはまったく日本人ですね。 インドやタイ、中国や韓国の仏教に日本人が違和感を受けるのは、すでに隋・唐の時代から日本人は輸入仏教を日本化していたと ●運慶の子供たち |
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