安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・名僧の肖像-5
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( 2015年 10月 10日 土曜日)


●無興福寺北円堂
興福寺北円堂は、南円堂のようにお線香とお賽銭も入れないのに鈴を振り鳴らすことなく、普段は静かでこじんまりした八角堂である。いまあるのは鎌倉期の建立、治承4年の兵火で焼け落ち、30年後に再建されたものである。

小生はは中学時代の絵の先生、一水会の故森下善文先生が好んで法隆寺の「夢殿雪景色」や興福寺の「北円堂雪景色」を描かれていて、後者を父が 一点所有していた。いま、あの絵が無性に懐かしい。

堂内の仏像群は運慶が総監督なって息子6人の一家総出で本尊弥勒如来と、この無着・世親両像、および四天王を製作、いづれも飛び切りの秀作だったであろう。あろうというのは、四天王が もと大安寺にあった平安時代のものに代わっているからである。ま、現在置かれた四天王は決してわるくないのですが。本尊があまり有名でないのは、小ぶりなことと、おとなしく目立たないせいとおもう。ノミは二人の子息ですが、いい彫刻です。

●無着・世親菩薩立像
 
世親菩薩           無着菩薩

北円堂そのものは小さくて、弥勒如来と脇侍仏の後ろに今回取り上げる、無着・世親菩薩の立像が立っている。等身大より一回り大きく、 四隅を四天王が取り囲んでいる。偶然に拝観できる時節に遭遇し、大勢に混じってぐるっと中央壇を一回りできた。そのとき拝観料と一緒にくれる小さな案内紙の写真が、上の無着像の胸部写真である。

無着と世親の兄弟は長男と次男、修行と学問に打ち込み、興福寺法相宗の開祖といわれる。釈迦没後千年を経た西暦300年代のバラモン階級の出身インド・ガンダーラの人である。 ということはインド人というより、現在のパキスタン、アフガニスタン人にあたるが、顔つきはまったく日本人ですね。 インドやタイ、中国や韓国の仏教に日本人が違和感を受けるのは、すでに隋・唐の時代から日本人は輸入仏教を日本化していたと

●運慶の子供たち
子息6人が6人ともいっぱしの彫刻家である。それがしは、伝統芸能なら世襲は可能だが、作曲家、画家、彫刻家など芸術的天分がなければやっていけるものではない。政治家とちがって世襲できないはずだ。にもかかわらず、運慶の子息は湛慶はじめ全員がある程度以上の作品を遺している。しかし3代目はみなアウト。 運慶のDNAはよほど強烈で例外なのか、不思議なことだ。






Pnorama Box制作委員会


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