安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・名僧の肖像-1
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( 2015年 9月 29日 火曜日)


●東大寺の開基、再興、復興に尽くした名僧たちの肖像
東大寺初代別当、つまり初代の管長は良弁(ろうべん)僧正である。二月堂の下に良弁杉があり、拙子の少年時代は半分枯れたような杉の大木があり、紙垂(しで)を回してあった。枯れてたおれたため二代目のやせ細ったのが柵で囲まれている。 国分寺及び総国分寺としての東大寺がという官寺の制度ができる(741)前から、二月堂や三月堂などがあった金鐘寺という名であったわけで、老弁杉の伝説舞台ははそのころのものです。ただし昔話は鎌倉の頃と拙子は疑っている。

●良弁杉の昔話
奈良の人なら良弁杉の歌舞伎は知らなくても説話は知っているはず、ともかく拙子の世代なら知らなければ奈良育ちではない。概略は、大ワシが赤ん坊をさらって、この杉のてっぺんに留まった。これからゆっくり平らげようと赤子を覗き込むとピカっと光がワシの目を射たのである。ワシは逃げたで、坊さんが杉の木に上り赤ん坊を助けておりると、赤ん坊の胸に観音のお守りペンダントがつけられていました。良弁と名づけられてお寺で成長し、30年ぶりに 探し歩いていためでたく母とめぐり合うのであります。

●八角厨子に安置された坐像
さてこの良弁僧正坐像は二月堂下の塀の中の開山堂に祀られていて、この開山堂は二月堂にのぼればすぐ下に見えます。秘仏ですから、年に一度良弁忌の日だけ公開される。良弁僧正の体格はがっしりした筋肉質、腹はへこんでいます。天平の肖像では珍しく頑強そうな体格である。右手におおきな耳かきのようなて杓を斜めに持つているが、これ何に使うのかようわからん。目は玉眼入りか、眼光鋭く写実的な顔だちで、俳優の渡辺謙を思い浮かべたが、各人それぞれよく似た知り合いがいるのではなかろうか。


良弁僧正坐像、東大寺開山堂      義淵僧正画像、奈良国立博物館(岡寺より寄託)

●良弁の師、義淵僧正坐像
この像は座像として大きく、高さ93cmある木心乾漆像である。義淵は岡寺を開基した僧で、坐像はいま奈良国立博物館に寄託され、おそらく岡寺へ帰ることはないでしょう。地方のお寺で国宝を管理するのはたいへんなのですあ。
ところで義淵という人は日本人であって渡来僧ではないとおもうが、日本人離れした容貌、特にタレさがった大きな目、太い眉もさがりシワだらけの顔である。鎖骨、助骨が横に通って胸骨がないような胸、腹の横ジワが深い。錫杖か如意棒を持つ手つきだが、「集古十種」という江戸期の木版絵本にこの坐像のイラストがあり、それによると、棒の先にフサフサしたまるい羽毛がついている。ちょうど耳かきの一端にある白い梵天とよぶものである。 でもまあ不確かなものは保たせても違和感がでるので、今の状態でない方がよいとおもう。

ところで座る時の僧衣は。ひざ下にたくり入れる。そうすると膝の丸みが出て自然で礼儀にかなった格好になるのですが、先回の鑑真坐像の膝は、両端とも丸みがなくて、座台にすわるというよりピタっと置かれている。これは明珍さんが坐像の下部を平たく切り落とした、実際そうしたからだといわれる。






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