安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・東大寺の十二神将
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( 2015年 9月 17日 木曜日


●佐保山暁海
このモノクロ写真は東大寺塔頭宝珠院の住職であった佐保山暁海さんが撮影した一枚である。昭和20年中頃か。若い頃にライカを素封家から貰って写真に病みつきになり、法衣の袖にカメラを隠して東大寺のあらゆるもの取りまくった。修二会も大法会もその調子で撮ったのだから、上の僧侶、管長だった上司海雲から小言をいわれたという。でも海雲さんらしく、暁海さんの写真集に苦言を呈しながらも序文を書いている。名著として知られる上司海雲の「東の大寺」にも佐保山暁海の写真を数多くグラヴィアで、杉本健吉の修二会を描いた一連の墨絵とともに掲載し、暁海師の写真を高く評価していた。この写真家・佐保山暁海東大寺僧は、海雲師のあとで東大寺管長になっている。海雲さんはホント容易には解せない傑物でした。

●東大寺十二神将群像    撮影:佐保山暁海、昭和20年中頃?

この写真は本坊(旧東南院中庭の天王殿に聖武天王(聖武天皇像を安置)祀られていた。これら十二神将が護る本尊・薬師如来は失われたか、かつて存在した薬師堂も残っていない。いま本坊の襖絵と天王殿を一般公開される特別拝観に行っても、この十二神将はありません。この写真は東大寺博物館へ移されたとき、とりあえず一カ所に並べておいた有り様を撮影した一枚。こういうことは入江泰吉御大でもできませんね。東大寺の事情に関わってきた家柄である佐保山さんだからできた。東大寺のことなら鼠の出入り穴まで知っている人だけに、貴重な写真をたくさん遺された。坊さんの役特も徳のひとつか。

●十二支に因む
東大寺ミュージアムとして開館した平成11年に、十二神将のうち六躰が一躰づつ無地をバックに展示された。平安時代の作で、像高はどれも1メートル以内、可愛くないが怖れなく見入る事が出来る。まず拙子が気付いたのは腰の位置が高いこと。足が太く長く小さな岩台に動態がバランスよく立っている。御面相やポーズが形式的でいまいちで、興福寺の国宝十二神将、や新薬師寺のそれに見劣りするのは否めない。だが、それぞれ頭上に十二支をのせ、腰のベルトに十二支のバックルをつけている。おかげでナニ神将さまか分りやすくて、「通」になった気にさせてくれるのである。上掲写真で言えば、前列右から申神、ちと不明瞭だが巳神、亥神、子神。後列右から辰神、といったぐあい。

さて、これら木造は作者不明、複数による仏師の工房で製作されたとされる。ただ彩色しただけでなく、「きりかね(截金)という熱して細切りにした金箔を細刷毛で塗り貼りしていくという、気の遠くなるワザも加味されているという。が、その截金模様がどこに残っているか、金色に光っている部分がそうなのかな?拙子にはわからない。学芸員の方に訊ねるべし。






Pnorama Box制作委員会


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