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奈良零れ百話・行商人
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( 2015年 9月 11日 金曜日 )
●自転車牛乳配達のおじさん 拙子の少年時代、1945〜1955年ぐらいでしょうか、行商する職人さんは町の風俗であった。朝一番に回ってくるのは般若寺にあった上村牧場の牛乳配達さんである。当時既に見えた。大きな自転車に牛乳瓶のはいった箱状の袋を、大きな荷物台の両側に振り分け廻ってくる。わが町内では4、5軒しか牛乳を取っていないが、あのおじいさん独りで奈良市の半分は配達していただろう。どうやってあの重い荷物をつけた自転車に倒れないで乗れるのか、どうやって坂道を上るのか、まさにカミワザでした。 あの牛乳は絞り立て、殺菌は恐らく不完全だったかどうか知りませんが、だれも詮索しなかった。今コンビニに出ている牛乳は一度粉末にしてから需要に応じて水で薄めて販売する。味はまったくちがう。昔の配達牛乳はまことに牛乳の味がした。 しかしそれがしの家は5人兄弟で、ビンボーでしたから毎日上村牧場の配達牛乳を飲める身分ではなかった。それだから偶に飲んだあの平たい紙キャップの上村牛乳が忘れられない。と共にあの達人・配達オジサンを想い出すのである。 なお、それがしは絶対行かないが、かなり前から上村牧場はおいしい牛乳を使って喫茶やレストランを同地で開いて評判がよい。 ●店から、行商も わが鍋屋町に老舗の玉川という魚やさんがあった。その昔は魚商売の傍ら旅館だとか、下宿屋さんも兼ねていたという。奈良は海がない。魚をどこから仕入れるのか不思議で。魚屋さんだから店でも買えるが、店の若主人が自転車の荷台に魚と氷を入れた箱を三段に積んで、「サカナー、サカナー、鮮魚」とか云いつつ回ってくる。縄張りがあるらしく、登大路と佐保川のあいだ主に東側を廻っていた。 油阪の今は廃れた船橋に上る商店街の北側に「松村パン」があった。そこの丁稚から奉公していたいつも笑顔の兄ちゃんが、自転車で焼きたてのパンを行商していた。はにかみやさんで奈良言葉でないのが余計に主婦のおばちゃんらに人気があったようです。アンパンがうまかった。 ●雑多な行商人 「傘、傘のシューゼン、傘」と通りの良い玄人声が遠くから聞こえる。得体の知れないオッサンが時々現われた。骨の折れた傘、破れた番傘も色を合わせて慣れた手つきで継ぎはりしてくれる。ちと場所を取るので、たいてい玄関が入り込んだところでやっていた。子供を相手にしない旅の人でしたな。 わが町内は子供の絶対数が少なかったのか、紙芝居家さんはたいてい素通りして隣の町でやる。隣町の子らとは仲良しでないので見たくても行けず、この経験が苦い。 その他、夜食時をねらってチャルメラをふきながら屋台をごろごろ引いてくるラーメン家さんがいた。碗はバケツの水にさらさらっと洗うだけ、衛生上悪いので、どこの家でもドンブリ持って買いに出たものです。 大晦日、年越し蕎の屋台も回って来たが、いつ頃からか来なくなった。60年代にはもう来なかったようにおもう。 芋焼きやの荷車や、お米をもってゆくとポップコーンのようにしてくれる黒い鉄の釜、ちょうど小さい蒸気機関車みたいな釜を載せた荷車を押してきた。渡したお米の一部を代金にするのでお金はいらない。しかし一握りの米粒が両手で持てないほど膨らむのだから得した気にしてくれました。(了) |
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