安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・続 聖漠と飛火野
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( 2015年 9月 5日 土曜日


先回、と前々回に書き忘れてしまったことについてです。
●日本最初のピストル自殺
先回、書き忘れてしまったことに、江戸開城の知らせを受けて明治元年3月に川路聖漠が喉をぶち抜いてピストル自殺したのは、本邦初の自殺方法でした。幕臣に準じた聖漠の辞世は、改まった気持ちも装いもなく、余り知られていないのも道理。これでは辞世の名句にはならないだろう。だが、幕吏への出自の苦労、生涯の天と地の体験を鑑み、自らを頑民斎と称する聖謨の赤心にくもりなく、胸を打つ:

 天津神に背(そむ)くもよかり 蕨(わらび)つみ飢えにし人の昔思へは
     署名 徳川家譜代之陪臣頑民斎川路聖謨 

●拳銃自殺は小数派
日本では明治、大正、昭和を通して拳銃自殺は自殺の方法としてたいへんすくない。少ない中で特異に多いのが戦前、戦中、戦後にみられる軍属による自殺である。戦争責任を感じてといえ、妻子を道連れにした軍人の多さが痛ましくもめまいがする。一方、ヤクザが追いつめられてピストル自殺した例はあるが、義理と人情で拳銃自殺したヤクザは古今ゼロである。

拳銃自殺した軍属は、戦地や勤務している国内の所属部隊や、住まいであるが、出身地に奈良人がいたかどうかまでは分らない。拙子が奈良の軍人でピストル自殺した軍人について耳にした事はない。

●古都を自殺に選ぶな!
すこしは知られた奈良人で、自殺者は他の県人に比べて少ないようだ。他県から奈良に来て今は亡くなった国鉄服駅前旅館(3階建て月の家)で首つり毒自殺をした教師がいた。大正時代、この教師に引率されてきた修学旅行生が気の毒だな。ほかにも奈良を死地に選ぶ人がいて、古都は誠に迷惑迷だ。


●御料地?飛火野の樟(クスの木)        
 奈良観光公式サイトより

飛火野の鹿寄せが行われるころは芝生が枯れた冬なので、写真はぴったりしませんが、その鹿寄せのラッパを吹くところにひろびろと枝葉を張った樟の木の大木があります。

●陸軍大演習が行われた飛火野
これは飛火野が御料地だったころ、離宮建設が始まらずその間10年ばかり、県が無料で借用していて、明治41年ここ御料地で秋の陸軍特別大演習画行われ、県内各家でも日の丸を上げて祝いました。というのは飛火野ばかりでなく、奈良盆地のあちこちの練兵場でも陸銀演習の行事がり、明治天皇が行幸されるから公共機関はもちろん奈良市は日の丸だらけになりました。

そして、飛火野では扇状に設えた祝宴場の要のところにご座所を設け明治天皇が閲兵し、食事もされた、その御座所の跡に植えられた記念樹がいまや大木となって生い茂る写真の樟なのです。

天皇が植樹した木は全国にあるが、どれも見事に育っている。苗木がもともと良質なうえに、手入れが行き届いているからでしょうか、枯らしたら一大事ですからね。(了)






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