安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・(続)東大寺の鐘
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( 2015年 8月 29日 土曜日


長き夜や初夜の鐘撞く東大寺
この句は正岡子規が登大路,東大寺に近い旅館で詠んだ。ま、あまりおもしろくない句ですが、除夜の
鐘は百八つも撞きますから、ずっと宿の布団にくるまっって聞かされる子規としてはおもしろくない気分でしょう。同情を呼ぶ俳句です。普段は大仏殿の修正会や二月堂の修二会といった大法会のときと、毎夜8時、初夜の鐘でゴーンと響きわたる。いまは一般の人が撞けるのは除夜の鐘だけで、前以て申込む必要がある。まず前列の8人が鐘木の太紐から8本に分かれた紐を握り、調子をあわせて一引きで撞く。続いて次の方8人がゴ〜ンという早い進行で延々と続く。かがり火に照らされて待つ人は長蛇の列である。前回のバーナード・ショウは5銭の冥加料でした。拙子は中学生のころだったか、鐘撞き料を払って撞いたことがある。鐘木の振りを2度ウォーミングアップして3度目に梵鐘にあてると少年独りでもゴ〜ンと響くのです。
●大仏さんの女郎鐘
東大寺の鐘は『奈良太郎』とよばれるが、別名に『大仏さんの女郎鐘』というのがある。これは戦後の男ばかりの名所案内さんが:
《鎌倉時代に力持の武将、朝比奈三郎が撞いたところ三日三晩鐘がなりやまなかったので、その後撞座の下を撞くようになったといわれております。だからヘソ(撞き座)の下をつくわけでございまして、またの名を大仏さんの女郎鐘ともうします。百円札ではツリガネーといって撞かさない》。当時の観光客は男性ばかりでしたので、案内氏はじょうずに下の話で客をそらさず、ウンチクをも教えるのでした。ヘソの下を撞くのは現在もそうで、丸く八弁の蓮をデザインした撞き座の真下に撞木があたるようになっている。知りませんが、この方が音がよいのでしょう。この大鐘は振幅がながく、低音が特色。ゴン、ウ〜 〜 〜 という感じ。録音で聞くと音に波がなく、単調すぎてNHK除夜の放送ではいまいちの人気。
●初夜と後夜とには百八ツつゝつきて十里四方ニひゞくなり
これは江戸期の鐘楼案内の木版チラシにある除夜の鐘を説明した名文。コピーライターの草分けですね。十里四方というと、生駒山がなければ大阪まで響く距離だ。雑音のない時代の真夜中なら誇張でなく、40キロ近くまで響いたと考えられる。また大鐘は東の春日山を後ろに西の平野に向かって撞くように吊られているので立地条件もよい。
●中国風鐘楼
鐘楼は鎌倉期の建築であるが、屋根の反りがはね上がって中国の楼閣をおもわせる。拙子はすきになれん。26.3?という大鐘を吊るして絶える構造上の必要性からだろうか、壁なしの骨組みだけの南大門とおなじく、台風にも地震にも強くしてあるのはわかるが、あんなにビヨンビヨンと屋根が四方に反り上がった形は中韓の寺院スタイルだ。拙子は和風好みで、中韓の寺院スタイルは好きではないが。故・上司海雲師は猫坂(コラム5月29日)をのぼって「前方に鳥が羽をひろげたかたちで鐘楼が姿を見せます。いかにも翼をひろげて、今にも天空に飛び立ちそうなのを、鐘の重みで引き止めているかたちです」と『東の大寺』(淡交新社,昭和35年)に書かれている。ウマイというか、海雲師は一筋縄ではいかない人物です。(了)






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