安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話・大仏殿に迷彩
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( 2015年 8月 15日 土曜日


太平洋戦争の後半、本土爆撃が始まり三月堂の諸仏が柳生途上の忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)と山辺道の奥にある菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)に疎開したことは前に書いた、ようにおもう。ま、疎開の途中で終戦になったので、ごく数躰におわったのですが、戦争による仏像受難のエピソードである。

●大仏殿に迷彩
大仏殿のように高さも広さも尋常でない大建造物を、B29ほかの米軍爆撃機からかくすことは不可能でしょう。周囲の樹々より高いのだから。

そうはいっても東大寺としては切実な問題だ。手をこまねいて焼夷弾が降りそそぐのを、指をくわえて見ているわけにはいかない。大仏殿の屋根に迷彩を施すにはどうすればよいか、長老、管長、塔頭子院の院主らがあつまり、緑色の網ネットですっぽり覆い隠そう、蚊帳を継ぎ合わせて……。それじゃそよ風にもめくれあがって破れてしまうだろう。鳩首疑義、けっきょく緑色の細縄を編んで粗目のネットをつくり、大仏殿の屋根にかぶせることにした。実際にあった話で、昭和19年のことという。

拙子の家の屋根から大仏殿の屋根はまるまる見渡せるが、小生まだひもじい3歳、隣の家すらまったく知らない。米軍幾は奈良市の上空にも現れ、空襲警報のたび、家の裏地に掘った役に立たない形だけの防空壕に潜り込んだのはおぼえているが。

奈良市街や南都の寺院に空爆がなかったのでことなきを得たが、大仏殿ばかりか各家庭でも役に立たない空爆対策をしていたのですな。当時は亜切実ですからおもしろい話ではないが、可笑しいですな。

●正倉院宝物移転計画
大仏殿といえば、かつてあった大仏鉄道をおもいおこす。この大仏鉄道は戦争前から廃止(明治41年廃業)され、レンガで覆われた黒髪山トンネルが用途のないまま遺された。ここへ正倉院宝物を移転させて空襲からまもろうという、宮内庁の計画があったことは、正倉院ウラ話としてよく知られている。終戦がさきにきて実現しなかったのが幸いでした。トンネルのような湿度のたかい場所に、宝物や経巻を・・と考えただけでゾっとする。

●文化財移転、有事に備えよ!
はなしは飛ぶが、自衛隊法が改正成立したことを拙子は当然とおもう。有事は地震とおなじくまえもって知り得ない。しかし必ずくる。そのとき泡食ってじたばたするより、移転可能な文化財をすぐ避難させる計画があってしかるべきではないか。仏像等の個体を密閉容器に動かないようスチロールに変化する液を注入するなど迅速な手法の開発も急を要する。いちいち包んでくるんで木枠を作っていては追っ付かないのです。(了)






Pnorama Box制作委員会


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