安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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拙著の新刊案内『奈良まち奇豪列伝』-3
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( 2015年 7月 9日 木曜日


今回は四人の奇豪から、第三章「大正ロマン・左門米造」19473〜1944 に付した筆者口上の抜萃です。

●ロマンを追い求めた町の科学者・飛行機を自作して飛ぶ
昭和37 年の春、NHKが公募した文芸作品シノプシス(梗概)に、北村信昭氏が「古都の草飛行」と題して応募され、一席に入選した。ドラマ化は“笑いの王国”を主催する故 花登筐、演出をNHKの棚橋昭夫(現在奈良大学講師)という当時大活躍の人気コンビ が企画、芦屋雁之助が左門米造に扮して声を担当した。しかし、評判になったNHK連続ドラマの脚本は数多の出版社から単行本になっているが、1回ものは消えていく運命にあった。

●筆者口上
国産動力飛行機がまだ陸軍の手でようやく製造がはじまったころ、大正のはじめに飛行機を自宅の裏で手作りし、自ら操縦して奈良公園で飛んだ人がいた。左門米造という猿沢池の東畔で歯科医を開業していた人である。アマチュアが自作して飛ぶ! この人類普遍の夢であった飛行機を実際に試した人物は器用なことはもちろん、大変なロマンチストに違いない。

この快男児の物語はラジオドラマになっていた。さっそくNHK大阪に台本が保存されているか調べてもらったところ、台本や録音の保存管理がまだ制度化されていなかった古い時代なので、なにも残されていないということだった。見つかったのは当日の「社内用番組」総覧にあった記載だけである。

近年、故信昭氏のご遺族が、信昭氏の遺稿資料や蒐集物を奈良大学に寄贈され、「北村文庫」として大図書館に新設されているのだが、今のところまだ数箱に入った遺稿や蒐集資料が未整理のまま、奈良大学図書館の地下倉庫に保管されている。拙子がごとき門外者が勝手にかき回してよいわけがない。幸い奈良新聞・辻恵介氏のはからいで、浅田隆名誉教授が、じきじきに辻氏と一緒に真冬の寒い大学地下室に赴き、左門米造とヴィリヨン神父に関する資料、写真や手稿、新聞切り抜きをすべて探し出したうえ、しばらく奈良新聞出版課に貸し出しできるよう便宜をはかってくださった。

そういうわけで不肖私めは何もせず、奈良に帰省したとき、辻恵介氏から分厚いコピー資料の整理されたファイルをデンと目の前に頂戴したのである。辻さんがつくられた目録付きである。捜していた手書きの原作シノプシスも、氏の脚色ガリバン刷りも、両耳揃えてあるではないか。感謝と愉悦にひたりました。

さて、ドラマ化された脚本は、喜劇構成ですから史実とは異なる創作部分が多く、当然ですが、主人公である左門米造さんの評伝ではありません。しかし、北村氏の原作シノプシスは事実を基に、とても要領よく左門米造の奇豪ぶりと人柄を伝えている。

加えて、左門姓を継承した孫の日本画家・左門瑠鋒(るほう)氏から珍しい写真資料を拝借し、逸話を聞かせて頂いた。曲がりなりにも大正ロマンに生きた孤独な米造の片鱗を知ることができたと自負している。

●本文抜萃
歯科医師は一般的に手先が器用でなくては務まらないが、左門米造氏はなかでも特に器用なT物作りUにちがいない。手先の器用さは、士分ながら金工細工師であった父菊松の血を受けたといわれる。ペンチやヤットコは明治大正の歯科器具である。精密な工作は本職の余技といえる。それでも木製プロペラは削りすぎると修正がきかない。失敗しては一からやり直しを繰り返した。そうして試行錯誤をかさねながら、2枚羽推進形状のセンスを磨いてきたのである。

エンジンは、大阪の古道具屋を探しまわって買い求めてきた2気筒のオートバイエンジンである。もっと馬力のあるエンジンが欲しかったのだが、浮力を考えると、重すぎて使えない。機体の中で構造的にいちばん重いのがエンジンだが、パイロットの体重だって軽くない。寝食をわすれ、飛行機作りに没頭した甲斐あって、スミスの妙技に発奮した日から10カ月目に早くも飛行機が完成した。
 さて、飛んでくれるだろうか?






Pnorama Box制作委員会


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