●天上天下唯我独尊
お釈迦さまに甘茶をかける「花祭り」はとっくに過ぎましたが、本稿は、誕生釈迦仏そのものについてです。マーヤ母さん(摩耶夫人)の右肘から生まれた「シッダルタ」ちゃんが7歩いて両手で天と地を指し「天上天下唯我独尊」と宣うた。その姿を童子像に鋳造したのが誕生釈迦仏です。然るに赤ちゃん出産の7日目にマーヤお母さんが亡くなった。エ、何でや?
その日は7月15日で・・とか詮索しても旧盆やお彼岸といったわが国の 風習に行き当たるばかりで、死因はつまびらかにされていない。思うに母の死は釈迦の苦悩と出家、サトリに至るうえで必要なスタート条件として紀元前に設定された伝承でありましょう。
全国各地の寺々では、釈迦誕生の4月8日に、灌仏盤という水盤に小さな誕生釈迦仏を置いて甘茶、といっても砂糖なんか混ぜない普通のお茶を柄杓で掛けます。これには出来合いの花祭り用の釈迦仏が多いのですが、宗旨が異なるそれがしは法会というものに参加したことがなく、間接知識です。しかし、ホンモノである古代〜天平の誕生釈迦仏も、手の平に寝かせられるくらい小さいものです。例外は東大寺の灌仏盤付き鍍金ブロンズで、大きくて細部まで丁寧に仕上げている。
●東大寺の誕生釈迦仏
(東大寺ミュージアム展示カタログより)
国宝、像高47.5cm、水盤つき(灌仏盤)、螺髪を除いた鍍金がいまも鮮やかに残る。常には厨子に納められて風雨、日差しから護られていたので鍍金がはがれず残ったとおもわれる。現在花祭りに出品されるものは当然レプリカで、ホンモノのは東大寺ミュージアム、入ってすぐのところにある。館内ショップに小型のレプリカが売っていました。それにしてもこの大きさは、大仏殿での法会を考えて造られたといわれる。現在の仏生会(花まつり)も大仏殿の前で行われるが、7−8センチでは心許ないので47.5cmは最適の大きさとおもう。またあどけないのも困るのか、顔の造作は子供らしくひねらレテイルガ、大人びて硬い表情が、個人的には感心しない。しかもヒダのあるもすそを着けるとはちょこざいな。これを奈良時代に模した1/2サイズのそっくりさんが近江の「善水寺」にあり、しかも重文になっているのはさらに感心しない。
天と地を指し示す手が開ききっている。右手が手垢で黒くなっている様ですが、この天を示す腕、手を触るとご利益があるとか謂れがあってのことだろうか。もちろん現在では像をさわるチャンスはありませんが、1000年ちかく、仏生会ごとに人々の手に触れてきたのである。黒ずんだ右手が気になるので想像してみました。
写真では見えませんが、水盤に毛彫りで、仏教と関係のない鶴に乗った仙人や麒麟(キリンビールの商標)、動植物などがあしらわれている。仏法で世を治めたいと大仏を発願した聖武天皇が知ったら、怒ったでしょうか。古代から日本人に花鳥風月は欠かせません。唐代中国の神仙思想の影響は、仙人になりたい坊さんにも受けた。永世を実現できるかと、裳の天平の鋳造。奈良には「久米の仙人」という楽しい好例がある。(次回は宇陀・悟真寺と愛知小牧・正眼寺の誕生釈迦仏について)