安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話/日光、月光菩薩
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( 2015年 6月 5日 金曜日


●日光・月光の呼び名
三月堂にあった日光、月光(がっこう)菩薩や、いわゆる「客仏」と称せられる後に法華堂に加えられた六躯は(前回、堂内見張りの人が書き出した仏たち)、東大寺ミュージアムに移され、温湿管理のガラスケースに収まっている。天平仏の宝庫といえる三月堂には痛手だが、移転して幸いとおもう。大気汚染の現代では保管環境を優先してほしい。

かねがね疑問があった。そもそもなぜ日光と月光という名で呼ばれるのか。考えればオカシなことで、菩薩には文殊、観音、虚空や地蔵といったジャンルがあるが、日光、月光というジャンルはめずらしく、薬師寺の「薬師三尊」のようにいかにも菩薩のように半裸でいらっしゃる。また日輪,月輪を持物にしていれば、これはもうはっきりしている。

だが東大寺の日光・月光は菩薩らしくありませんな。白い塑像からそのような「愛称」になったというなら、やはりオカシい。当初は極彩色ですから、奈良一刀彫の極彩色を想像すれば日光や月光のイメージは浮かばない。彩色が剥落して白い粘土の塑像になってからの「愛称」にちがいない。

そう思っていた。ところが東大寺ミュージアムには説明書きがあって、カタログにも「日光・月光菩薩の呼称は江戸時代以前の文献には見えず、当初は仏教に守護人として取り入れられたインドの最高神、梵天・帝釈天の像だったと考えられる」とあった。納得です。日光・月光の着衣は梵天・帝釈にちかく、髷を結い衣はいたって質素である。作者・国中連公麻呂(くになかのむらじ・きみまろ)の作品は東大寺に数々あり、憤怒像でも合掌する自然体のこの菩薩像でも目に曇りが無く素晴らしい。

 

●日光菩薩
日光像の彩色は想像がつくほどに残っており、朱の衣と裏が緑青の萌葱色という華美な姿だったのが分る。ま、はげ落ちて良かったですね。インド起源らしく描かれたヒゲが残っている。飾りは冠帯(はちまき)を着けているだけでV型の胸元や合掌のゆるやかで大らかな形など、全体に男性的な造形になっている。背丈が月光より数センチ高い。写真では沓が見えないが、先が反り上がった唐代流行の形。ただし、画像と異なり立体像ではどれも先が尖らず丸い木沓スタイルであるが、月光菩薩の沓よりは尖っている。

●月光菩薩
丸首の筒袖下着に柔らかそうな上衣を着け、胸元に円形のブローチをつけている。腰紐の結びがまことに粋でして、だらりと長い腰紐を臍下で蝶々結びにし、衣文(皺)のない無い合わせの上に、腰紐が膝下まで末広げて垂らしている。腕を引いて軽く手を合わせる姿などすべてに女性的である。難を言えば、首の付け直しと両手がいつ頃最期に修復されたのか知らないが、ピノキオの手みたいで安易に過ぎる。

●奈良市最古の建物・三月堂
「三月堂」は一番新しい呼び名で永らく「法華堂」、建立当時(天平5年?)は不空羂索観音立像を本尊とする「羂索堂」と呼ばれていた。以来二度の兵火を逃れ、地震落雷にも絶えた。二堂合体して現在の姿になっているが、東大寺最古の建物であり、奈良市最古の建物である。






Pnorama Box制作委員会


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