安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話/大仏の目つき
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( 2015年 5月 25日 月曜日


奈良の大仏に限らず、仏像には人間に無い身体の特徴があり仏像である所以であるから、例えば手に水かきがあるとか、額のおおきなホクロは何かとかいちいち詮索しない。如来には「三十二相」があって、異説もあるが難癖をつける要なし。

●目つきの悪い大仏さん
とはいえ大仏については気になる事はいくつかあって、拙子の関心事はもっぱら大仏の目つきである。如来や菩薩はカっと目を見開いてはイケない。切れ長の目にうす目で黙想している。人は慈悲の目、あるいは参観者をジーッと観想しているといえば聞こえが良いが、こういうウス目で見つめられると気持ちのいいものではない。半目で睨むのなら本人の感情に忠実であり、インドの釈迦像なんかも半目だが、はっきり人相がわかるまで目をあけているので、気色の良し悪しは関係ない。どうして日本の如来や菩薩の目つきを皆さんは素直に受け入れているのか、拙子とて大仏さんを尊重しているが、ナゾである。

●ギョっとした経験
奈良の大仏も下から見ている分には目つきまでは気にならないのだが、20年ほど前だったか、お正月に帰省した際、元日に大仏殿から三月堂、若草山のふもとを歩いて春日大社に初詣したことがある。客人と一緒だから行ったようなものだが、元日の大仏殿では正面の観想窓(桟唐戸、写真参照)が夜12時を期して開扉される。で間に合うように早めにいったのですが、超満員だったな。中門の数段しかない階段を上り切るのに5分以上はかかった。あの押すな押すなのなか、よく事故にならなかったものです。

真夜中が過ぎていたので観想窓が開かれていて、大仏の顔が照明に照らされて、窓からこちらを見ている。中門の壇上から見事に大仏さんのお顔と真っ正面から対峙するわけですから、実に玄妙な雰囲気でありました。このとき射すくめる大仏の目つきに驚き、お正月気分はどこへやら。以来、2度と行っておりませんが、あの位置に戸窓をつけたアイデアには恐れ入りました。


東大寺の公式サイトにあったこの写真には一人も居ない。どういうことかいな。


黒目のところが見えますか? 実地に見ればハッキリ目つきの悪いのがわかります。おもうに盧遮那仏とか如来像の目はわざと焦点がわからないように造ってあるようです。

●偵察まなこの奈良大仏とスリーピーなまなこの鎌倉大仏
こいいう自身の感情を押しつぶしてうす目を開いているのは、よくいえば「観察する目」であるが、英語圏でspectといえば「偵察する目」とおなじ意味でつかわれ、映画では横柄な悪党の役回りに使われる目つきである。それだから、半目の仏像彫刻が、ローマ彫刻のように世界的な普遍性に繋がらない原因ではないかとおもう。

一方、鎌倉の大仏はどうだろう。明治時代に訪日した異人さんに人気があり、東京から近いせいもあるが、大伽藍のない裸一貫の鎌倉の大仏さんは、目つきは同じ薄めでも眠そうな目で威圧感がないからだろう。(了)






Pnorama Box制作委員会


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