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奈良零れ百話/南大門の仁王さん
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( 2015年 4月 16日 木曜日 )
●南大門の大きさは世界一か?
日本の門としてはもちろん日本一デカイ。では世界の門ではというと、パリの凱旋門は高さが50mあって南大門より4mばかり高い。他にもローマ時代以降にたくさんの高い凱旋門が建てられているが、世界一高い凱旋門は平城凱旋門というからビックリ。金日成が自身の神話と抗日戦争勝利とやらを自賛して建てたパリ凱旋門のパクリ。アホらしい。 そういう石造門を除いて世界で一番大きいのは北京紫禁城の午門だが、これは大部分が煉瓦積要塞の上に木造柱と2層屋根がある。門は煉瓦要塞の地表面にアーチ型の扉をつけたもので刑務所の門のようだ。平城と競うソウルでは午門の殆どパクリにみえる崇礼門(南大門)を建てた。これじゃ900年前のわが南大門と比較にならぬ。東大寺南大門は礎石台を除けば全部木造だから、木造建築の門では世界一である。 ●阿吽の仁王さん 框を通して大仏殿がスッポリは入る構図の写真がよくあるが、大仏殿が小さいのではなく、世界最大の木造建築を入れるくらい門が大きいとおもうべし。基壇を上がると左右に阿吽の金剛力士が対面で立っている。なぜ正面で南面向きに睨んでいないのか、古書に納得いく記述はないが、南面を板で覆い、風雨から守るためというのが通説。 拙子は知らないが、大正昭和初期の観光案内氏が「右は運慶左は湛慶、いずれも左甚五郎の作でございます」と笑わせたそうで、この噺は日吉館の常連や、観音院に居たころの上司海雲師も書かれている真実の伝説である。 運慶、湛慶作に相違ないが、昭和の解体修理の際、墨書きが発見されて作者の全貌がはっきりした。墨書きによると「阿形」は運慶と快慶作、その配下に十数人の弟子仏師がおり、「吽形」には定覚と湛慶作および十数人の弟子仏師がいた。総監督である運慶のもと、大勢の仏師によって分担製作された寄せ木造りである。阿形の寄せ木の部品というか単体が3,115個という。3000以上のパーツに分けて2ヵ月〆切で彫らせるとは、実際69日で立ち上げたのである。手品みたいですね。高さ8m以上、重さ6.8トンですぞ。運慶ら監督仏師の頭の緻密さは想像を絶する。 ●必要になった防御の金網 今は前面を金網で覆われているが、もちろん拙子の少年の頃はなかった。今もある太めで高い木の柵だけでした。木柵に御みくじを結んだり、願掛けに投げた丸めた紙や紙ツブテが木柵のなかに落ちているのは、汚らしい。あの紙つぶては有り合わせの紙をちぎって口にしがみ、掌でま丸めて仁王さんに投げる。目当ての部所に命中すれば願いが叶うというわけです。何処を狙うか知りませんが、◯◯めがけて勃起力の願いか、または健脚を願う脛のあたりだそうだ。後年はチューインガムを投げるいたずらが絶えず、雨の日には鳥どもが南大門で雨宿りして仁王さんの頭はもちろんところ構わず排泄する。やはり金網は不可欠だ。 ↓日中は金網が邪魔で写真が旨く撮れないが、日暮れて上体がライトアップされるうまく撮れる見本を、よそ様のサイトから拝借しました、許されよ。 ●キュートな胸飾り さてジックリ見て頂きたい。四天王や十二神将といったガードマンの立像は、それぞれ腰をひねってその腰が筋骨隆々たる手足にくらべてキュっとしまっている。裾裳を翻して五指を開き「ヤっ」「ン」と見えを切った瞬間のキマッたポーズが素晴らしい。胸元の胸飾りをよくみると、助骨のところに三筋の玉鎖が背にまわって胸飾りに続いているようだ。ちょうどブラジャーのブラカップを取りさったようなベルト状のデザインがいなせである。 面白いのは口をつぐんだような臍。ぐっと腹筋を絞って臍の穴が隠れている。それがしもやってみたが、年金老人にはムリだな。皺は横一になるものの穴は塞がらないですわ。そのほか髷を結った頭が可愛いらしい。阿形が持つ金剛杵(こんごうしょ)は片手では振れない大きさにおいて異形であるが、造形的に均斉がとれ力強い。天才運慶ならではの傑作とおもう。 「仁王立ち」と言う言葉は南大門の仁王さんにはあたらない。吽形の右足は足首から反り上げて踵だけ木台につき、重心を左足に、腰をくの字に曲げて「ン」と息を止めるのである。こいう足指を反り上げた像がほかにありましたか?裸足の立像は多くありませんが思いつかない。 ●つまらない狛犬 真中の敷居を跨ぐと左右に狛犬が大仏殿の方を見て2面金網のなかに置かれている。これは阿形の雄雌一対だが、ただ大きいだけでツルリと様式化され箱形の口は獅子舞の口の如くパクパク締まりがない。宋の石工を招いて、というのはそれまで日本には狛犬がなかったので、石材はその石工が船で運んで来た巨大な凝灰岩の上物である。だから狛犬は当時中国の獅子のように「たてがみ」があるわけだ。建久7年(1196)にできた日本最古の狛犬と、その大きさから国の重文になっているが、これしきなら自治体の文化財指定で事足りる、というのが拙子の持論。 |
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