安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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奈良零れ百話/近鉄奈良駅前
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( 2015年 3月 19日 木曜日


●駅前の高島屋、模型売り場
近鉄奈良駅前登大路の角に「高島屋奈良分店」があった。駅前一番のモルタル建物であるが、名産品をならべているくらいで百貨店と呼べるものではなかった。しかし2階に模型用品売場があって、ここはオタク子供のあいだに人気があった。精巧な電車が軌道を走る電池仕掛けの模型が、カウンターウインドウの中に走っていた。これは目を廈輝かせて見るだけ。ぼくらは模型飛行機の材料を買う。プロペラ、バルサ材、竹ヒゴ、アメゴム、ゴムにつける油、羽に張る薄い紙、車輪からまですべて部品を単品で買って、いちからつくるのである。プロペラとゴムを繋ぐコメットは小刀で「工」字型まで削り込み、プロペラなんかもサンドペーパーでより薄く仕上げる。模型飛行機の袋入りキットなんか買わない、あれは初心者向きで飛行機大会では勝てないのです。会場は旧三笠中学の運動場が多かった。周囲が田圃で見晴らしが良かったからだろう。

グライダーをつくるときは軽くて頑丈にバルサ材を駆使してつくるが、仕上げにラッカーを塗る。これは油阪の「米沢塗料」で小さな缶に小分けしてもらう。いまおもうと子供にヒゴ3本とか、ラッカー20mlの少量を、嫌な顔一つせず売ってくれた。あるとき飛行機大会の景品にゴムを巻く歯車仕掛けの「ワインダー」を貰って嬉しかったことといったら……Good Old Days. エンジン模型器を作れるようになったのは中学生のころだが、もう興味を失っていてぼくは作ったことがないが、兄は間断なく凝っていて、そのまんま今も工作三昧である。

●長く居残った平屋のみやげ物店
この高島屋なくなったのが1952年、その後はタクシー乗り場とか、紆余曲折があったのでよく覚えていない。27だがその隣、東向き商店街にはいる手前に古い平屋瓦葺きのみやげ物やさんが居残っていて、東京オリンピックの年もそのままだった。わが伴侶になった人がはじめて奈良駅に降り立った1966年にもこの店がありました。彼女は電車を間違えて上六から各停に乗ってきたので、つくづく遠いところにきたものだ、と古いみやげ物屋が駅前にあって不思議に思わなかったそうだ。しかし世間では奈良の玄関口でもあり、見栄えが悪いから建て直せとの声を耳にしていたが、いまはそれなりに新築されている。

●東向き交番
東向き商店街に入る西角にかつて一室だけの小さな交番があり、商店街を自転車で行く者を見張っていた時がある。だいたい交番の少し前で自転車をおりて押して行くのだが、人通りの少ない時など遠くまでおまわりさんに見えてしまう。それで「ごまかしてもあかん」と一度交番内に呼ばれて油を絞られたあるあげく、住所氏名と拇印を押して開放してもらった経験がある。注意するだけで十分なのにね。ま、この若いおまわりさん余程ヒマだったのか、イジメ好きだったのかな。ともあれ我が生涯で一度の忘れられないイヤな記憶である。

でも1960年代の中頃はみんな平気で商店街の中を自転車に乗っていたのです。ほれ、こんな写真を見つけました。
おそらくアーケードが出来てから自転車乗り入れ禁止になったようです。

  
なお、この交番は現在東向き角から西御門に移って「近鉄奈良駅前交番」となった。






Pnorama Box制作委員会


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