安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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吉村長慶 番外編その3
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( 2015年 2月 15日 日曜日


●小豆島寒霞渓の長慶碑詳細
新発見の長慶石碑をまとめておく。場所は先のコラムに地図で示しておいたとおり、内海ダム西側から寒霞渓遊歩道に入り、約200mゆるやかな坂道を登ったところ、左側にあります。
石碑、阿字石、高さ140cm, 幅上部:70cm, 幅下部:108cm
台石 安山岩 高さ…120cm, 幅 210cm 奥行き80cm
石工:衆井(もろい)光祐、若下定次 (地元の人)
建立:明治37年。石碑に年代は記されていないが、長慶寺録によると『明治三十七年、寒霞渓に世界三大不思議を碑文にした』と長慶が記している。

▽刻誌
石碑は上部に『宇宙眞神太神宮』と横に右から彫られていて、これが石碑の名称。
右端にそって上から『吾對汝示天之教躰教於宇宙之極秘』と刻詞。
行を変えて下に「宇宙菴 吉村長慶 誌」と彫られている。

曰く、『吾・吉村長慶は、お前さんたちに天の教体即ち天照大神という眞の神様である教体を、と右手に雲上の天照大神のシンボルを掲げて示し、よって宇宙の極秘を教えてつかわす』。と宣詞を述べる相手であるお前さんたち「汝」とは左下部の毛彫りにあるとおり、長慶さんのいう三聖人に対してであり、磔キリスト、笏を持つ孔子、螺髪の仏陀の三聖人のこと。

宇宙眞神太神宮 吉村長慶 誌 明治37年 斜めから、後ろ細りの三角柱石

▽三聖人毛彫りの図
イスラム予言者マホメット(ムハンマド)を加えた石碑も長慶石碑があるが、線刻三聖人が世界の宗教を支配しているという現状から、これら三大宗教をひとつに統一できたら世界平和が達成されると考え、それには我が日本国の光の神である天照大神の教えに彼ら三聖人を帰依させんと、「宇宙教」を興したのでありました。

右手に掲げる「雲上の天照太神宮」は、長慶が天の啓示を受けて唱導した宇宙教の教体、神道装束で、京都嵯峨に建てた宇宙菴に「嵯峨太神宮」の祠を建て、神官衣裳で祭祀した。
またおなじ意味で長慶さんが開基した奈良市法蓮の長慶寺では「如来道を提唱し、こちらのシンボルは「雲上の太陽」がシンボルになっている。
マントを着て左手に刀の柄を握っている、お決まりのポーズである。

●三聖人に説法する長慶
奇豪・吉村長慶の夥しい石造物には、このテーマで大小多くの石碑がつくられ、石工はすべて生涯長慶さんに従った新谷信正・伝重郎の彫りである。そっくりな石碑とレリーフ上の寝石が長慶寺にあるほか、東大寺八幡神社の西側境外に「嵯峨太神宮教体」、興福院墓所や、下長慶橋袂に「三聖人礼拝碑」が内堤石垣に嵌め込まれている。どれも三聖人が長慶さんの説法をハハーと畏まりひれ伏している図。その他、鳴川町の徳融寺(長慶菩提寺であった)には、三聖人を「しっかりせい、この世界大事のときに寝ていてどうする、起きんかこれ!と三聖人を揺り起こしている長慶さんのレリーフ石碑があります。また後年大正から昭和初期にかけて長慶寺から木版刷りを出版、檀信徒や参観者に配布したものが残っています

●甦れ長慶
長慶さんは皇国の人ですが、それ以外の人間は屁とも思わない直言大言の人で、時の政界、実業界、仏教界ことごとくこてんぱんに批判した奈良まちの名物人士でありました。で、上層部に煙たがられ、奈良まちの人々には奇人、変人で有名でした。キリスト大真面目で宣布したのですが、誇大妄想の奇人と見られていた。長慶さんの死後は、長慶寺を継ぐひとがおらず、遺稿など私的な遺品も焼却されたため、奇人としてのウワサだけが一人歩きして最近まで古老に語り継がれてきた。それら古老も既に鬼籍にはいられた。

ま、しかし探せば他家に残った文献もあり、奈良の公共図書館にない長慶著作が(それほど郷土史家に嫌われていた)国会図書館や大阪・京都の図書館にあることがわかり、それがしは2年前評伝を上梓した。そのとき未発見もしくは消滅したと記載した長慶もの石造物で、その後見つかったと好事家の報告が三点有り、そのうちの一点がこの寒霞渓の石碑というわけ。小豆島の運転手さんが「宇宙とか、訳けの解らん石碑がこのうえの山道にありますわ」と言ったり、地元の人ですくなからず石碑の存在を知っている人がいた。願わくば、発願者・吉村長慶とは何者か、この奇豪の素晴らしい正体を知って欲しいと願う。

初めて教わったのが秋篠寺にあった柱石で、それがしが帰省時に居候する佐紀町から歩いて行ける距離である。灯台下暗しでした。この石柱については次回に譲ります。






Pnorama Box制作委員会


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