安達正興のハード@コラム
Masaoki Adachi/安達正興


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吉村長慶 番外編その2
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( 2015年 2月 6日 金曜日


●翌日は晴れ間も覗く
結構な宿舎の食堂で独り朝食のあと、ゆるゆるチェックアウト、一泊2食付きお酒500mmlで9000円以下ですから北欧では考えられない驚異である。前日寒霞渓ロープウエイの下駅・紅雲亭へはシーズンオフとて草壁港からバスは3月まで運休という。それで宿に頼んでおいたタクシーで登山口まで行ってもらった。で、慇懃な運転手さんに小豆島の産業、観光状況など訪ねてみると、産業の第一はソーメンと云うではないか。
「な〜にを仰るウンテンさん、ソーメンは歴史と伝統に育まれた奈良の三輪ソーメンが第一です」。と反論しますと、この慇懃な運転手殿は「さようでございます。その三輪で修行をして来た小豆島の人が江戸時代に故郷で始めて“小豆島手延素麺”が全国ブランドになったわけです」とのお答え。納得。

しかし小豆島ではタクシー会社が一社独占ですから、結講高い。翌日回った車代は、一泊2食付きホテル代よりたかくなりました。とてもじゃないが島一周をタクシーで回ってはなりませぬぞ。

●安山岩と花崗岩の産地
その他オリーブは勿論、醤油、食用油、があり、花崗岩が大量にあり、大阪城の石垣に利用されている。その切り石の残ったものを配して「大阪城残石資料館」が西地区にあります。寒霞渓一帯は安山岩で脆いのですが、庭石によい転石がゴロゴロしており、長慶さんがこのあたりに土地を買って、石碑につかっています。花崗岩のほうは色合い、硬度が近いので長慶さんは「阿字石」の名で多くの石造物に使用しています。

草壁港から寒霞渓への地図   長慶石碑「宇宙眞人太神宮」の場所 拡大図

寒霞渓にロープウェイも国道もせいびされていなかった明治時代、人々は山道を歩いて登った。吉村長慶はその山道の途上に石碑を建てたのである。文献によって寒霞渓の谷底を探してもないのである。
だから昔の山道、今は整備された寒霞渓遊歩道の途中に長慶石碑があるのは当然だったといえる。


長慶石碑のある辺りの森は至る所にゴロ石があり、玄武岩、安山岩、花崗岩などいろいろです。


ロープウェイからの景観『屏風岩』。主に安山岩、途中、岩壁が間近に見えるところでは礫岩(れきがん)がはっきり見て取れます。いわゆる「さざれ石の巌となりて」の石が詰まった堆積岩のこと。ま、詳しい生成のはなしを抜きに、海底にあった地層が古代の噴火で隆起、脆い部分が水に浸食され火山岩など硬い部分が、特に上部に硬い岩石があると高く残ったというわけ。
国道29から紅雲亭まで冬期以外はバスが運行しています。ロープウエイは冬でも12分間隔で動かしており、下りはそれがし一人でした。前方の枯れ木は紅葉、秋はお見事でしょうな。



ロープウェイ頂上からの展望、新内海ダムが白く輝いています。その向こうは瀬戸内海を挟んで四国の山並みが、天気次第で見えるはず。内海をじもとでは「うちのみ」とよんでいました。
長慶石碑はこの内海ダムから舗装された遊歩道をのぼればよく、丈夫なノルウェー製冬の登山靴を履いてきたそれがしは大汗かきましたな。ジョッギングシューズで軽々と行ける遊歩道です。


寒霞渓、ロープウェイの頂上は正直、たいくつな公園、ここから上の山に登る途中であり、団体の観光バスが数台止まっていた。驚いたのはこんな場所に電気自動車の充電ステーションがあったこと。実に新鮮な印象的発見。考えてみるとここまでEVでくればバッテリーを使い果たしますからね。(続く)






Pnorama Box制作委員会


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