●文部省唱歌
♪年の初めのためしとて♪に続く歌詞を♪尾張名古屋のめでたさめでたさを♪と唄い、ながらく疑っていなかったが、何故だろう。父は新潟の人で、名古屋人ではなかったが、替え歌で喜んでいる人だったからわれら子供は騙されていたのだな。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹)(まつたけ)たてて 門ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ
二番は難しくて覚えていない。今あらためて二番を読むと、別に中韓に遠慮するのではないけれど、明治の祖先は立派でしたな。ただ現実感覚として明治は遠くなりにけりであります。
●斎藤茂吉、留学途上の正月
それで、大正ではあるが斎藤茂吉がヨオロッッパで三度目の正月をどうすごしたか、『ミュンヘン漫吟 其二』大正13年一月一日
の一首。
湯たんぽを机の死体置きながらけふの午前をしづかに籠る
二日の一首
将棋さす心のいとまおのづから出(い)で来しことを神に忝(かたじけ)なむ
そして同年十一月末に茂吉(43歳)と妻の輝子はマルセーユを出港して紅海からインド洋へ、船はコロンボに立ち寄って年末29-30日は香港、新年を上海途上で過ごすも迎えるのであるが、その船上で父が院長の「青山病院全焼」の電報を受け取る。ヨーロッパで集めて送っておいた書物も荷造りのまま焼失しまったのである。悲歎のうちに船上で読んだ歌が多い。そのなかから;
身ごもりし妻をいたはらむ言(こと)さへもただに短しきのふもけふも
父母のことをおもひていれざりし一夜(ひとよ)あけぬるあまつ日のいろ
まともなる海のしほかぜ吹くときにわが悲しみをおのれみむとす
この三首はそれぞれ30,31,元旦に詠んだ歌、新年必ずめでたいわけではない。
大14年1月5日、神戸着をまえに
瀬戸のうみのうつくしさ見つつ居り大王(おほきみ)のくに日のもとのくに
七日夜、東京に帰着、途上の一首
澄み切らぬくぐもりの空とおもひしに晴れわたりつつ息吹嶺(いぶきね)の雪
●一年の計は元旦にあり
とは言い古され、こういう新年の約束とか新年の誓いと言われる格言は世界中にみられる。でも禁酒など所詮無理、毎朝ジョッギングも続かない。一方で切実な願い事はたとえば「今年こそ離婚するぞ」とか「俺は会社を辞める、あんな上司では先がない」など口には出さねど心に期する人は少なくないであろう。相談事ができる友人に漏らしても止めとけと説教されるがオチでしょう。でもね、後事うまくゆく現実的な「計」があるなら実行していただきたい、と新年ごとに余生が短くなるシニアたるそれがしはおもう。(了)